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『ONE PIECE』×『道楽』「価値は姿形を入れ替える」
前回、「答えは必要?正解は一つじゃない」というコラムを配信しましたが、今回は、続きに当たるコラムとなります。
数学であれば答えが決められていて、正解は一つです。そして、会社や学校などのコミュニティでは、決められたルールのようなものがあります。コミュニティに属する以上、そのルールを強いられ、従わなければ、コミュニティに居続けることは難しいでしょう。
そういった、コミュニティでの決められた生き方のようなものに苦しんでいる方は少なくないと思います。もしかしたら自覚していない方もいるかもしれませんが、生き方そのものに答えはないし、自分が生きていくコミュニティも一つとは限りません。「既定路線」の中で、自分には合わない答えに縛られて無理して生きるくらいなら、別のコミュニティに移ることもできるし、自分自身でコミュニティを作ったっていいわけです。
『ONE PIECE』に見る「道楽」
ルフィとエースの生き方
『ONE PIECE』で言えば、「海賊」は自由の象徴とされ、普通の生活である「既定路線」を飛び出した存在だと言えます。とは言え、海賊の世界にも序列やコミュニティがあり、海賊王を目指して独立したとしても、四皇や七武海という強力な海賊の支配下に入ったりします。
この辺りは、今流行りのオンラインサロンなどを例にとり、コラムに取り上げています。
今回のテーマで取り上げたいのは、ルフィとエースの「生き方」についてです。
ルフィは、四皇の一人「赤髪のシャンクス」に憧れ、子供の頃にシャンクスに「船に乗せてくれ!」と頼みましたが、まだ子供だからと断られ、ゆくゆくは自ら船出し、いきなり遭難します(笑)。その後、冒険していく中で、仲間ができていき、今では麦わらの一味は10人。さらに、同盟や「子分盃」によって、5600人の大船団となり、海賊王を目指しています。
一方エースは、ルフィより一足先に船出し、自らの海賊団を結成しました。しかし、四皇の白ひげに挑むも、エース海賊団は壊滅させられます。エースを気に入った白ひげは、「いつでも俺の命を狙ってこい」と、自らの海賊団に引き入れました。エースは全く歯が立たず、その内白ひげ海賊団の中で認められていき、二番隊隊長となりました。そして、いつしかエースは、自らが海賊王になるのではなく、オヤジと慕うようになった白ひげを王にする、と宣言しています。
海賊王ゴールド・ロジャーの息子として海軍に狙われ、「頂上戦争編」で、エースは「愛してくれて、ありがとう」と言って死んで逝きました。
ルフィもエースも出発は同じで、二人とも「既定路線」を飛び出ました。その後ルフィは、結果的にではありますが、自分を中心としたコミュニティを築きました。エースも、海賊団を結成したものの、巨大な波に飲み込まれ、大きなコミュニティ(白ひげ海賊団)に所属することになったわけです。
どちらが良いと言うつもりはありませんが、言いたいことは、既定路線を出たとしても、一人で生きてはいけない人間は、何かしらのコミュニティに属します。自身で作ってもいいし、所属したり、移籍してもいいわけです。「海賊王」を目指して己を貫くことは大事ですが、誰でも海賊王になれるわけではないし、海賊王になることが大事なのではありません。
エースの生き様から見えるもの
エースは、笑顔で死んでいきました。それは、後悔することなく死ねたからでしょう。自分が海賊王になることはできず、白ひげを海賊王にすることもできなかった。それでもエースは、沢山の仲間が自分の為に動いてくれて、愛してくれたわけです。
おそらくエースの本当の目的は、父の愛であったり、「家族」の存在だったと思うのです。なぜならエースの父は海賊王であり、母のポートガス・D・ルージュは、海軍からエースを守る為に、20ヶ月もの間お腹に宿し、自らの命と引き換えにエースを出産しました。エースは、生まれながらに親は亡く、家族を知りませんでした。だからこそ、「家族」を求める白ひげと、望むものが合致し、家族になれたのだと思うのです。
そういう意味でエースは、「海賊王」という理想以上に望むものを手に入れられたからこそ、笑って死ねたんだと思います。つまり、「結果」に捉われず、自身の本心に従って生きました。それはまさに、「道中を楽しんで生きた」ということでしょう。『ONE PIECE』における「Dの意思」とは、「道楽」の「D」なのかもしれませんね(笑)
逃げられない「家庭」というコミュニティと呪縛
親の価値観に左右される子供
エースは、親や家族の愛を求めて生きた、と述べてきました。エース自身、自ら海賊団を作る力もありながら、結局は巨大なコミュニティに所属することになりました。そのような力があれば望む生き方ができるのかもしれません。
ただ、問題なのは、自分で道を選べない人や、まだその力のない子供のような存在です。
子供は、自分でどのような道に進むかを選べるだけの知恵や力はほとんどありません。経済的にも、経験的にも、判断材料が足りません。それに、通う学校も、ほとんどの子供は住んでいる地域で決まるので、自分では選ぶことのできないコミュニティに所属することになってしまいます。だからこそ、逃げ場がなく、逃げようとも思えないものです。そういう子供が、その閉じられた(と思い込んでいる)場所で、壮絶なイジメや辛い目に遭ったりすると、自ら死を選んでしまったりするのでしょう。
安易に、転校すれば問題が解決するわけでもありませんが、自分で選べないコミュニティというのは、とても難しく、厄介な問題が多いのも事実です。
そして、子供にとっての判断材料は「親の価値観」によるところが大きく、年齢が若いほど大きくなります。「あのお家の子と仲良くしちゃいけません」みたいなセリフを目にしたことがあるのではないかと思いますが、親にとっては、子供の為に良かれと思って言っていることでしょう。結果的に、それは正しく、親の言う通りになるかもしれません。しかし、それが必ずしも子供にとっての「正解」になるとは限りません。
物事の判断材料もそうですがどのコミュニティに所属するかも、親による所が関係していることがあり、時に人生を狂わせることもあります。
強制力の強い「宗教」
最たる例で言えば、「宗教」などがそうでしょう。ただでさえ生きていくだけでも厳しい世の中で、心の拠り所や、生きていく指針が欲しくなるのもやむを得ないと思います。だから、神様を信じたり、教祖の言う最もらしいことを信じることで、それを「答え」にして、幸せだと思い込ませている…のかもしれません。
「宗教を信じるのは弱い人間だ」と言う方もいます。我々は決してそのようには言いませんが、人間は「何かを信じて生きたい生き物」であるのは間違いないのではないでしょうか。
神様にしろ自分にしろ、「信じる」ということに関しては同じことです。
大事なのは、「答えに自分を合わせる」のではなく、「自分の答えを見出す」ということなのだと思います。
問題なのは、「自分で考えずに信じてしまうこと」です。
信仰に悩む人は、映画『星の子』を観よう
芦田愛菜ちゃん主演の映画『星の子』という作品が公開されました。
この作品は、新興宗教を信じる家族を描いていて、芦田愛菜ちゃんは、所謂「二世信者」として、その苦しみを描いています。
分別の付く大人(親)が自分から宗教を信じるのは、あくまで自己責任です。ですが、子供は、まだ自分で考えて決められるだけの知識や材料を持っておらず、生きていく為には親に従わなければなりません。
親としては、自分が信じているものや、正しいと思うことを「子育て」や「教育」として子供に教えたりするものですが、自分にとっての正解が、子供にとっても正しいとは限りません。これはとても難しいことですが、人は基本的に誰かに強制的に決めつけられることを嫌います。それは、親子であっても同じことが言えます。これが行き過ぎた場合は「基本的人権問題」にも発展する事態になります。
それに、人も世界も価値観も、その時代時代によって刻々と変化していきます。その時には正しい「答え」であったとしても、それがいつまでも「答え」になるとは限りません。
10月に公開されて、まだ公開している映画館は少ないかもしれませんが、家庭の宗教で悩んでいる方はもちろん、親の強い思想による教育を受けてきた人には、是非とも観て頂きたい作品です。正体不明の悩みの姿が、視えてくるのではないかと思います。
ルフィとエースが旅立てた理由
親の呪縛について触れてきましたが、『ONE PIECE』で、ルフィとエースが船出できたのは、身近に親がいなかったからなのでしょう。エースの父、ゴールド・ロジャーと母ルージュは既に亡くなっており、ルフィの父ドラゴンは、革命家として全世界から指名手配されています。ルフィの母親は、未だ謎に包まれていますが、二人とも、親に育てられてはいません。
親の縛りがないことで、幼いながらに、自分自身で生き方を決められたのかもしれませんね。今の世の中、離婚や再婚、未婚の母なども増えてはいますが、見方によっては、ルフィやエースのように、親の呪縛がなく、自由に生きるチャンスを手にしているのかもしれませんね。ただ、それはものすごく大変なことではありますが・・・。
ちなみに、多くの名作の主人公には、両親がいなかったり、片親であることが多いのはご存知ですか?その方が、「神話の法則」が発動しやすいからなのですが、物語を進める上では、時として親の存在は、門番(ゲートキーパー)になったり、邪魔したりすることもあります。だからルフィもエースも、親の邪魔立てがなく、旅に出ることで、物語が動き出したわけです。
キルアに見る、家族の「呪縛」
ルフィは「道楽家」であり、道中を楽しんでグランドラインを進んでますが、「道楽」は、「楽な道」ではありません。むしろどんなことでも受け入れて、それを楽しむということなので、相当な覚悟が必要です。そこに、親の呪縛があったら、『HUNTER×HUNTER』のキルアのように、「逃げの一手」になってしまうのかもしれませんね。
キルアの「逃げの思考」に対し、師匠のビスケはこう言います。
「勝てない」と思ってしまえば「逃げの思考」になってしまうのは、キルアに対する過剰な愛から来た、いびつで利己的な歪んだ愛によるものでした。それは、兄のイルミの針によって縛り付けていたのですが、キルアはその呪縛を、殺されそうになる瞬間に解きました。
このシーンは、リアルタイムで読んでいた時はドキドキハラハラしたのを今でも覚えていますが、「逃ゲロ」という呪縛と、涙ながらに必死に抗う姿は胸が締め付けられるような思いでした。
呪縛を解くということは、文字通り命がけだったわけです。
キルアの場合は、「イルミの針」によるものでしたが、そういった形ではなくても、知らない間に、心の内で親の愛が「呪い」となって潜んでいることは十分にあります。いずれ、このテーマも掘り下げてコラムにする予定です。
(参照:『HUNTER×HUNTER』/冨樫義博 集英社)
歴史と共に、「価値」は変わる
『ONE PIECE』象徴的なドフラミンゴの言葉
『星の子』、『HUNTER×HUNTER』と脱線しましたが、『ONE PIECE』に戻ります(笑)
今回のメインテーマでもありますが、このような象徴的なシーンがあります。
『ONE PIECE』の世界観では、「海軍が正義」、「海賊が悪」とされています。しかし、ドフラミンゴの言葉にあるように、「時代と共に、正義も悪も入れ替わってきた」という訳です。なぜなら時代が移ろい、価値観は変われば、正義の基準は変わるからです。
もっと言えば、我々の歴史そのものも「強者の歴史」と言われるように、結局その時々で戦争に勝った者(国)が、自分たちの都合の良いように歴史を書き換えてきたというのが本当のところです。そして、支配者が変わることで、価値は大きく入れ替わります。『ONE PIECE』で言えば、「天竜人」が神の末裔として絶対の権力を持っており、どんなにクソ野郎でも、逆らうことは許されません。そんな天竜人に対し、ルフィは怒りにまかせて殴り飛ばしましたが(笑)彼らの論理では、悪いことをするのが「悪」なのではなく、権力者に逆らうことこそが「悪」だと描かれているのです。
つまり、善悪は、時の権力者や、支配者が決めていると言うことです。
善悪は、至る所で形を変える
これを、コミュニティレベルで言うならば、コミュニティの主催者であったり、組織のトップによって、ルールや価値基準は変わります。善悪が入れ替わる程の大きな違いはないかもしれませんが、以前いたコミュニティのルールが、今のコミュニティでは通用しなかったり、今いるコミュニティのルールは、別のコミュニティでは通用しなかったりします。これは、会社などでも言えることですよね。
道楽舎のメンバーは皆、転職を経験していますが、会社や職場が変わることで、働き方の違いを経験しています。職場が変わることで、今まで当たり前だったことが、そうではないということを思い知らされたりします。
転職をする度に、人間関係を一から築かなければなりません。職種によっては、ゼロから勉強し直して、能力を身に着けることも必要になるでしょう。私MAXなんかは、毎回違う職種に転職していたので、いつもゼロからスタートするという、中々無謀な転職をしてきました(笑)。それはカミィも同じだし、「既定路線」真っ只中の喜多も、公務員→経営団体→営業と、違う職業に潜入調査している最中です。果たして次は、どんな職種に手を出すのでしょうか?(笑)
このような生き方が、見る人によっては、「能力を活かしていない、無駄な転職」と思う方もいるかもしれません。確かにそうです。せっかく培った能力を生かさず、違うことをし始めるわけですから。一つの道を極めるためには、「間違い」だと言えるでしょう。
ただ、仕事は所詮、仕事でしかなく、いつ職を失うかわかりません。いつまでも、望むように、同じ仕事ができる保証はどこにもありません。
無謀な生き方をしてきたことで、一見遠回りしてきた我々が得たものというのは、一般的な「成功」ではなく、「いつでもゼロから、リスタートできる覚悟」と言えるかもしれません。
前回のコラムでも述べた「間違いが正解」と言えるのは、こういう生き方をしてきたからこそ出た言葉です。世間一般的には「間違い」の選択であっても、今ここに至ることができたんだから、間違いのように見える選択は、「正解」だと胸を張っていうことができます。
遠回りしなければ辿り着けなかった。得られることはできなかったものが沢山あります。誰が何と言おうが、負け惜しみでも、いい訳でもなく、誇りを持って自画自賛したいと思います。誰かに認められるに越したことはないですが、まず自分が自分自身が認めてあげられるような選択をし、人生を生きていきたいものです。
さて、今回は『ONE PIECE』を引用して、「家族」や「善悪」などについてお送りしてきましたが、次に「恋愛」や「結婚」についても、言及していきたいと思います。
かなり長くなってしまうので、続きはまた次回に特集して参りますので、ぜひ楽しみにお待ちくださいね!
(画像出典:『ONE PIECE』/尾田栄一郎 集英社)
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