前回は、『ONE PIECE』を題材として、海賊と海軍が象徴とするものや、社会構図に置き換えることができると述べてきました。後半の今回はさらに掘り下げて、様々な支配がある中で、「自由に生きるにはどのようにしたらいいか」ということを、「道楽家の生き方」として提示してまいります。
前回のコラムはこちら
Contents
「海賊」から見えてくる「生き方」
海賊が自由に生きる象徴だとして、改めて、「四皇」「七武海」「麦わらの一味」を例にとっていきます。
最初は、海賊王を目指し、ワンピースを手に入れる為に海に出たものの、強い奴やライバルがうじゃうじゃいます。その弱肉強食の世界で生き延びる為には、逃げるか強者に取り入るかしかありません。
麦わらの一味も、シャボンディ諸島で、海軍大将や新世界の強者が立ちはだかり、勝てない相手に出会いました。ルフィの命令は
「逃げろ!」
でした。バーソロミューによって、一味は散り散りになり、結果的に逃げられました。一味は3日後に再会する予定だったのですが、このままでは勝てないと悟り、新世界で生き抜く強さを身につけて2年後に会おうというメッセージを残しました。それが、かの有名な「3D2Y」です。
画像出典:ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社
「3D2Y」という「道楽」
「3D2Y」は、3日後の再会ではなく、2年後の再会を約束したメッセージなんですが、これぞまさに「道楽」でもあるんですよ。勝つことや、支配を受けてでも生きることが目的なら、強者に従うなり、海軍に捕まるなりすればいいし、3日後に再会したとしても、今のままでは新世界では生きていけないことが痛いほどわかったわけです。「海賊王におれはなる!」という夢や目的を果たす為には、遠回りをしなければならなかったのです。
誰でも手っ取り早く成功したいし、欲しいものを手に入れたいと思うものですが、欲しいものを得るには、相応の代償を払わなければなりません。お金を払うにせよ、時間を使うにせよ、相応の元手が無いのなら、それを得なければなりません。ルフィが出した答えが、「2年間の修行」という遠回りだったのです。その遠回りをするからこそ得られることがあり、逆にいえば、遠回りしないと得られないものがあるのです。それを嫌々するのではなく、楽しむことこそが「道楽」なのです。「道楽」に生きることで、遠回りする道草を楽しみ、そこでしか得られないものを手に入れ、その結果として欲しいものも手に入れることができるのです。それで、「麦わらの一味」は圧倒的に成長しました。
画像出典:ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社
自由を求めても自由は得られない
海賊が「自由の象徴」とはいっても、実は、強者の下で制限された自由を謳歌することしかできない人がほとんどです。
ルフィにとって「海賊王」とは、「この海で一番自由な奴」のことなので、強者に取り入ることも、弱者に取り入られることも嫌います。それなら2年かかってでも、強くなる方を選ぶくらいです。
画像出典:ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社
でも、ルフィのように、己を貫いて生きることは、簡単なことではありません。一人では、乗り越えられないからです。ルフィでさえ、仲間を必要としていたし、仲間がいたから乗り越えられました。
どうせ一人で生きられないなら、せめて気の合う人と仲間になりたいですよね。
海賊は「起業家」と称しましたが、今の流行りで言えば、「オンラインサロン」を運営する人とか、コミュニティを運営するような人と言えます。
このように、道楽舎でも「オンラインサロン」についてのコラムを発信していますが、特にホリエモンやキンコン西野さん、落合陽一さん、箕輪陽介さんあたりは、「四皇」や「七武海」と言える存在かもしれません。太刀打ちできない雑魚海賊のような人が、こぞってサロンに入会し、
「俺、ホリエモンのサロンに入ってるんだぜ」
とドヤる、虎の威を借る狐が沢山いるわけです(笑)でも、本当のところ、自分が海賊王にはなれない、勝てないと諦めた人は、強者の傘下に入るしかないわけですよ。
『ONE PIECE』に話を戻しますが、ルフィは「最悪の世代」と言われる一角です。同じ世代のローは「七武海」ドフラミンゴの配下になり、ギャング・ベッジは「四皇」のビッグ・マムの配下になりました。ホーキンスとX・ドレーク、スクラッチメン・アプーは、「四皇」のカイドウの配下になりました。まぁ、その後裏切ったり、敢えて配下になったりもしていますが、配下になれば、従うしかありません。
このように、海軍に入って「正義」に支配されるよりも強力な、「恐怖」によって支配されてしまいます。自由になる為に海賊(起業家)になったに関わらず、その実、より不自由になってしまうことも起こり得ます。
ルフィのように、強者の傘下に入らずにいるような人は、Youtuberなどの「インフルエンサー」と言えるかもしれませんね。海軍に入っても海賊になっても、組織に所属する以上、その組織のルールに従わなければなりません。つまり、組織に入ることは、その組織のルールに支配されることになります。下手に自由を求めても、必ずしも自由にはなれないということですね。
「麦わらの一味」はこれからの組織のモデル
だからこそ、ルフィは大きな組織に入らず、「麦わらの一味」のように、小規模のチームでいることが、一番自由でいられるんだろうと思うし、それをわかっているからルフィも「仲間は10人」にして、親分にはならないし子分はいらないと言い切ったわけです。
『キングダム』でも、主人公の信は、王騎将軍の飛矢として、百人隊に重要な使命を与えるとともに、「飛信隊」と言う名を与えられました。そして、100人だからこそできることがあるとして、信は王騎将軍の期待に見事に答えました。大将軍である王騎将軍は、その立場ではもうできないこともあり、その不自由をわかっているからこそ、信に託しました。有名になるということも、自由を制限する要素になってしまいますね。
組織が大きくなればなるほど、「上下関係」ができてしまい、何かしら少なからず支配が生まれ、今流行りの「ハラスメント」が起こってきます。
なのになぜ人は組織に入るのか。それは、力がないからです。そして、力を持てば、より強い力を持つ者に潰されてしまいます。ルフィは、シャボンディ諸島で、勝ち目がないときに、新世界で生き抜くための力を身につけるため、2年を要しました。それは、「支配されないための力」と言えるかもしれません。麦わらの一味は、それだけの代償を払ったのです。
上下関係より、役割をリスペクトする道楽舎
さて、『ONE PIECE』を例に、社会的な構図について述べてきましたが、あなたはどのコミュニティに属しますか?
「海軍」ですか?「四皇」ですか?はたまた、組織に所属せず、一匹狼でいますか?それとも、「麦わらの一味」のような信頼で築かれた少人数チームを築きますか?
我々【道楽舎】は、大きな組織を作るつもりは更々ありません。組織が大きいくなればなるほど、不自由になるからです。だからと言って、一人でできることは限られます。理想的なのは、「麦わらの一味」のような、力と信頼がある小規模のチームを築き、時々に応じて、同盟、チームアップを組むということです。
あるいは、「飛信隊」のように、美女がいて飯もうまく(笑)、神出鬼没に大将首をあげるような活躍をする小隊ですかね。信は隊長だからって偉ぶることなく、平気で呼び捨てにされたり、ツッコまれたりします。これは、ルフィも同じなんですよ。「麦わらの一味」では、船長であるルフィをみんな呼び捨てにします。それが許される関係だからです。と言うより、船長だから偉いのではなく、それが「役割」なだけで、「上下」ではないんです。
道楽舎が大事にしているのは、上下関係による支配ではなく、「役割を認めてリスペクト」です。
その為に、価値を生み出し続け、道中を楽しみながら、得たものを共有していく。そんなコミュニティ、チームにしていきたいと思っています。
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