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「結果」と「過程」どっちが大事?
『コードギアス』にみる、「結果と過程」
結果と過程。どちらが大事かと、よく議論されることがありますよね。
「結果と過程」ということを考えると、思い浮かぶのが、神アニメ認定している『コードギアス』です。
『コードギアス』は、姉妹サイトの「神アニメランキング!虹見式」でも、トップクラスの神アニメです。
この作品の一つのテーマに、「結果と過程」について描かれています。
ルルーシュとスザクの関係で見える「結果と過程」
「結果」を出す為なら手段を選ばない、結果重視のルルーシュ。「間違って得られた結果に、意味はない」という信念を持つ、過程重視の枢木スザク。この二人は、それぞれ、結果重視タイプと過程重視タイプと言えます。
その考え方を巡って、親友である二人は敵対していくことになります。面白いもので、途中途中で考え方が入れ替わったりして、最終的にはお互いの意見を一致させていきます。
行き着いた答えは、「『結果重視』だけど、『過程』で起こしたことは甘んじて受け入れる」というものだと解釈しています。
というのも、結果重視のルルーシュは、「絶対遵守の力」という「ギアス」の能力を使って結果を出し、結果を出すことで、「黒の騎士団」という組織を築いたり、存在感を示していきます。しかし、「結果」を求めすぎるが故に、その過程において、予想外なことが起こります。
戦争を仕掛けたことで、学友の父親を巻き込んで死なせてしまったり、「ギアス」の暴走により、初恋相手を虐殺皇女にしてしまったり・・・
「結果」を求め過ぎたことで、「ギアス」によって人の意思を捻じ曲げ、多くの業を背負うことになりました。
「過程重視」のスザクも、ルルーシュの行動に巻き込まれたこともあり、「過程」に拘ってはいられなくなった。そして、「結果」を求めるようになりましたが、ルルーシュの「生きろ」というギアスの呪いによって、「フレイヤ弾頭」によって2500万人の命を奪うという業を、スザクも背負うことになりました。
「結果」だけを求めることは、「手段を選ばない」ことに繋がってしまいます。スザクのように、「間違ったやり方」ではない「過程」に拘ったとしても、ルルーシュが手段を選ばずに出した「結果」の前にはどうにもならないこともあります。
ここ2千年の人類の歴史を見るにつけ、結局「勝ったものが全てを手に入れ、歴史を書き換える」という現実があり、「どんなことをしても、勝てば(結果を出せば)良いのだ」と考えるのが、ある意味とても合理的で賢い考えに思えるのもムリはありません。(人類の戦争の歴史はまさにこの観点からずっと続いています)
そして、物語を通して導き出した答えが、「結果を出すために間違ったやり方をしてしまっても、甘んじて受け入れた上で、新たな結果に導く」という、「ゼロレクイエム」に繋がったのでしょう。
「結果重視」と「過程重視」
「結果」を求めすぎる危険性
「『道楽』と言うくらいだから、【道楽舎】は『過程重視』なんでしょ?」
とお思いですか…?
その通りです(笑)
どちらかを選べと言われれば、過程(道中)を重視しますが、結果(成果)を軽視はしません。やはり、結果(成果)が出なければ、やり甲斐もないし、続けられないものです。成果が出るからこそ、最終的に過程での苦労も報われるというものです。しかし、『コードギアス』を例にしたように、「結果『主義』」になってしまえば、「何をやってもいい」ということになりかねません。
「金メダル」を獲るという「結果」だけを求めるから、ドーピングしてしまったりすることもあります。サッカーでも「中東の笛」と呼ばれる、中東びいきのジャッジがあったり、アウェイでの食事で体調不良を引き起こしたりと、勝つためには卑怯な手を使うこともあります。
受験でも、合格するためにカンニングをしたり、替え玉受験をしたり、裏金を使って入学したりすることもあります。
「結果」だけに拘ってしまうと、「結果を出せばいい」という考えになり、「手段を選ばない」ことをヨシとしてしまいます。しかし、手段を選ばずに得られた結果には、様々な犠牲や、遺恨を残すものです。スザクの言う「間違ったやり方」で得られた結果では、人から恨まれたり、結果を出すために自分や自分の大切な人を犠牲にすることもあるものです。
「過程と結果」を言い換えるなら、「過程重視=自己満足」「結果重視=自他犠牲」と言えるかもしれません。両者を簡潔に言うなら、結果が出なくても、過程が楽しめればそれでいい。結果を出す為なら、犠牲を厭わない。そんな見方ができるのではないでしょうか。
「二項対立」に捉われない「道楽」という生き方
『HUNTER×HUNTER』のジンに学ぶ
『HUNTER×HUNTER』を例に出すと、ゴンの父・ジンの名セリフ
「道草を楽しめ、大いにな。
欲しいものより大切なものが、きっとそっちに転がってる」
というものがあります。これは、道楽舎の理念でもあるし、「道楽」そのものの意味です。
ただ、別にこんなセリフもあります。
「狙った通りに獲物が動けば、ハンター冥利だろ?」
これは、獲物を狙う「ハンター」らしいセリフですが、「道楽家」としてみたら、少し違和感があったんです。なぜなら、獲物を自分の思い通りに動かすというのは、結果を求める行為のように感じるからです。
しかし、続くセリフに、
「道中を楽しみたい。それだけさ」
と、道楽家らしいセリフがあります。
つまり、「望む結果を得る為に、その道中を楽しむ」というのが、ジンの考え方だと思うのです。
「道楽」とは、道中を楽しむという意味ではありますが、進む道には「行き先」があり、目的地があります。道を進む以上、やはり目的地を目指しているはずです。ただ、もしかしたら今進んでいる道は、必ずしも望むような目的地にはつかないかもしれない。でも、その道筋を楽しんでいけば、仮に望む目的地とは違っても、もっと素晴らしい場所に辿り着ける。
なぜなら、その道中で得られたものこそが、最も価値のある宝だから…
少なくとも、【道楽舎】が考える「道楽道」とは、こういうものです。
二項対立の罠
「結果の出ない過程重視」では、先述したように、自己満足で終わりです。自己犠牲を厭わない結果主義と、どちらがいいかは人それぞれです。
今更言っておいてなんですが、
「結果」と「過程」どちらがいいか?
なんて、この世界に渦巻く「二項対立の罠」に他なりません。
物事は、「正義か悪か」「光か闇か」「成功か失敗か」なんて、単純に割り切れるものではありません。しかし、様々な場面で、我々に「二項対立の罠」を強いて選択肢を狭めさせ、どちらかを選ばせるのが、この世界(支配者層)のやり方だったりします。これを我々は「ジョーカーゲーム」と呼んでいます。
しかしながら、それを今さらどうこう言うつもりもありません。彼らは彼らの論理や行動原理があり、それが最善だと思っておこなっているのでしょうし、一個人がそれをどうにかできるわけでもないので、いたずらに「悪魔ガァ~!」とか「闇の組織ガァ~!」とか「ロス○×○×○ガァ~!」みたいに騒ぐつもりもありません。(笑)
僕らはただ、ジンのように「そうであるならば、そのゲームを楽しむだけ。でも、どうせ楽しむなら、自由度が高い方が面白い!」と思っています。誰かが考えた「ゲーム」なので、そこには必ずプログラム上の「バグ」や「裏技」や「攻略法」があるはずです。このゲームの上手な攻略法を見つけ出して、編み出して、場合によっては「チート」な能力も身に着けて(笑)、少しでも自由に気ままにこの世界と仲良く遊んでいけたらイイなぁ~と考えています。
この世界は仮想現実ゲームかもしれない?!
最先端の物理学者が唱える説に「シミュレーション仮説」というものがあります。この世界そのものが高度なプログラムによってシミュレーションされた仮想世界で、我々が現実だと思い込んでいる世界は、映画「マトリックス」のような仮想現実世界かもしれない、という説です。この世界は、何者かによって作られ、私たちはその世界の登場キャラにすぎない。すなわち、私たちは「ゲームの中の人」かもしれないということです。
そして、「神」と呼んでいる存在は、そのプログラムの「制作者(作者)」なのかもしれず、私たちが生きているこの世界は、1つの「作品」にすぎないのかもしれません。
どう思うかは人それぞれですが、そういう視点で自分たちの生きている世界を見てみたら、全く違う観え方ができるかもしれません。
不条理なゲームから脱出する方法
「道楽舎」は現在、このシミュレーション仮説に基づき、我々が現在生きている(と思い込んでいる)この「人生ゲーム」の攻略法を研究中で、長年の思案の結果、このゲームについてかなりいろいろな事が解ってきました。
このシミュレーションゲームの主要な「テーマ」は以下の3つです。
人生ゲーム(人間関係を含む全般)
マネーゲーム(お金と経済)
ジョーカーゲーム(支配と洗脳)
人間として生まれた以上、自らの意志や意向に関係なく、私たちは必ず上記の3つのゲームに「強制参加」させられます。
普通多くの人は、このことに疑問や不思議を感じないまま人生を生きているのではないでしょうか?
「当たり前だ」と思っている世界は、本当に当たり前なのでしょうか?
そのことについては、今後「道楽舎のコンテンツ」とも関連しながら、皆さんに発信していけたらと思っています。
ぜひ楽しみにしていてくださいね!!
二項対立の罠から抜け出す「道楽」という道
とまあ、そんな世界にあって、敢えて「二項対立の罠」に嵌らず、自由に行き来をしながらバランスをとって生きるのが「道楽家」です。
「結果」と「過程」どちらが大事か…?
なのではなく、時として「結果」を求め、時として「過程」を楽しむ。「結果重視」と「過程重視」の間を自由に行き来する。そういう自由で「良い加減」な生き方をするのが、【道楽舎】が目指すところです。
前回のコラムでは、竹内結子さんを追悼するコラムでしたが、「二項対立」に捉われることなく、自由に行き来することができれば、選択は変わっていたのではないかと。
真面目過ぎても、不真面目過ぎても、この世界は生き辛いものです。誰かや世界に定められた生き方をするのではなく、時に真面目に、時に不真面目に、結果と過程どちらかに捉われず、自分らしく生きられるには、「道楽(道を楽しむ)」という精神が欠かせません。
働き方の「二項対立」
今回のコロナ禍によって、社会の雇用形態も急速に変わってきています。
「会社員はダメだ、フリーランスがいい。」「フリーランスはダメだ、やはり会社員が安定してる。」
といった、二項対立の罠が、あらゆるところで表面化しているような節もあります。
社畜、過労死などといった極端な例を出し、雇われている会社員は悪であると言った情報発信も見受けられます。
しかし、これらの発信は、「生存バイアス」を考えていないのではないでしょうか?
「生存バイアス」とは、一般には「生存者バイアス」とも呼ばれている言葉です。脱落したものや淘汰されたものを評価すること無く、生き残ったもののみを評価するというバイアスのことを指します。 具体的には「本当だったらデータが偏っているけれど、生存者だけしか調べていないことで統計的なバイアスが出てしまった」という現象になります。
会社員やフリーランスを一方的に批判する意見は、どちらかの良い声だけを拾い上げて、その他無数のマイナスの意見は無視しているかもしれないのです。自分の特性も知らず、むやみやたらと独立して起業しても、数年後にはまた同じ会社員に戻る人の方が圧倒的に数としては多いということを見過ごしてもいけないと思います。
ここで、ジンが言った「道中を楽しみたい」を思い出してみましょう。
この言葉を実践するならば、このように考えることができるのではないでしょうか?
会社員もいい。フリーランスもいい。両方を試してみて、つまりその道中を堪能してみる。
結局のところ「自分はどれがいいのか、どれが合っているのか」を模索していく。
そんな姿も、よいのでは?と思うのです。
会社員にとっては、会社に勤めるだけが全てではなく、フリーランスにとっては、自由に働くだけが全てではない。また、そのどちらも自由に行き来しても別に構わない、ということです。
まあ、どちらにしても、必ず「良い面、悪い面」「メリットとデメリット」は付いてきますので(笑)
「二項対立の罠」を抜けるには?
発想の転換
「二項対立の罠」を抜けるには、極端にどちらか一方を選択するのではなく、どちらも手に取る、ということが必要になります。
「二項対立」は、一見どちらかしか手にすることができないように見えますが、表と裏というだけで、本質的に見れば一体であることに気付けるものです。言っている内容は違っても、目的は同じ、というように。例えば、右翼団体と左翼団体みたいな(笑)
物理的には、どちらかしか選べなくても、見方を変えたり、抽象度を上げたり、枠組みを超えてみたら、どちらも手に取ることができたり、そもそもどちらも取らない、ということもできたりします。「二項対立」は、一つの支配的手法なので、そこから離れないことには、まんまと支配されることになってしまいます。
二項対立の向こう側
仏教の教えにも「両忘」というものがあります。「どちらかを選ぶというとき、どちらも選ばない」という意味で、二者択一そのものから離れる、というものです。MAX個人のnoteコラムで取り上げているので、詳しくはそちらをご覧いただければと思いますが、「二項対立」に捉われない、全く違う選択肢というのもあったりします。
世界や日本には受験制度があり、早い人は小学生の時期から「結果」を出さなければなりません。そして、社会人になってからも常に「結果」を出すことを要求され、どんなに努力をしても「結果」を出さなければ認められることはありません。このように、この社会のシステムそのものが、「結果重視」を強いるものであると言えます。
「結果」はもちろん大事ですが、「結果」が全てではないし、がむしゃらに努力すればいいというものでもない。要は、「結果」にも「過程」にも捉われず、自由な視点を持つことが大事なのです。そうでなければ、「二項対立の罠」に嵌り、人によっては運悪くそこから抜け出せずに、人生からドロップアウト(=自殺もしくは他殺)する選択をしてしまうかもしれません。
「道中を楽しむ」を掲げる【道楽舎】としては、たとえどのような世界であっても、ぜひ人生を謳歌したいと思っているし、「道楽」に生きられる人が増えれば、面白い世の中になるだろうなと思っています。少しでも、共感してくださる人がいたら嬉しいです。
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