答えは必要?正解は一つじゃない!

答えは必要?正解は一つじゃない!

 

前回配信した、「遠回りしてこそ『おかげ』になる」というコラムは、「せいをおかげに」を掲げる道楽舎にとって、手前味噌ながら、渾身のコラムだったと自負しています。

遠回りしてこそ「おかげ」になる

こちらのコラムで、「『おかげ』は後になってやってくる」というテーマで述べている中に、今回のコラムの種があります。

 

人生における、「答え」や「正解」

人は、答えを知りたがる生き物だし、生きていれば、答えや正解が気になりますよね。ただ、果たしてその「答え」や「正解」というのは、本当に正しいのでしょうか?

人生は選択の連続で、過去の選択を悔やむこともあるでしょう。たとえ、その時は正解と思われる選択をしても、疑いたくなるような結果になることもあります

例えば、受験に合格することが「正解」だったり。スポーツのプロ選手になることが「正解」だったり。志望の企業に就職することが「正解」だったり。成功することが「正解」だと言えるでしょう。しかし、「正解」を選んだからといって、後々「それで良かった」という保証はどこにもありません。

そもそも、その「答え」や「正解」は、誰が決めたのでしょうか?

タイトルにあるように、本当に答えは必要なのか?正解は一つじゃない、ということに言及していきます。

 

コミュニティにおける「ルール」という「正解」

幸せや価値観は人それぞれで、正解は一つではないでしょう。答えが決まっていれば楽かもしれませんが、実際のところはそんなことはありません。もし答えが決まっていたとしたら、それ以外は「間違い」になってしまい、人間社会においては排除されてしまうでしょう。

しかし人間は、コミュニティを形成して生きる生き物なのです。

狭いコミュニティなどでは、コミュニティ独自のルールや答えに沿わなければ、排除されてしまいます。

それが「学校」という場所であれば、「いじめ」として現れたりします。どれだけ「いじめ」を無くそうとしても、コミュニティがある限り、すべてを無くすことは残念ながらそれは難しいことでしょう。なぜなら、コミュニティには、独自のルールや正しさがあり、コミュニティに属する以上、従わなければなりません。自ら望んで、選んだコミュニティならまだしも、学校など、その地域で仕方なく所属することになった場合は、逃げ場がありません。それは、会社などであっても同じで、転勤したり異動したりすると、それはコミュニティが変わるようなもので、今までのルールが通用しなかったりします。

ルールから外れる人は異端児とされ、排除されます。それが、人間の恐ろしい部分なのかもしれません。跳ね返す力がある人は、むしろ懐柔し、上に立つこともあります。ちなみに、道楽舎メンバーのカミィには、いじめを攻略した「奇跡の三日間」という逸話があります。このエピソードは、道楽舎の秘儀として、公開はできません。知りたい方は、仲間になりましょう(笑)

コミュニティにおいて異端児は、多勢に無勢。大半は屈するなり逃げるなりすることでしょう。場合によっては、いじめを苦に自殺する人もいます。

 

学生時代のコミュニティ

いじめを苦に自殺するのは、基本的に封鎖的で、自分には到底合わないような価値観を強いられることにあります。逃げ場のないところでの圧力は、死に相当する苦しみがあるものです。特に、世界の狭い子供にとっての学校は、逃げ場のないコミュニティだと言えます。いじめから逃げようにも、逃げ場がありません。逃げ場が家の場合は引きこもりになり、家にも居られなければ、グレて不良仲間とつるんだりするのでしょう。

人間という存在は、基本的に「生きる」ようにできています。死にたくたって腹は減り、たとえ体に傷をつけてたとしても、生きるために、『はたらく細胞』たちが傷を治す為に頑張っています。

(すり傷を治す血小板ちゃんたち)

平成最後の神アニメ虹見式アワード2018!

もちろん、一線を超えてしまえば、もう戻ることはできませんが、視点や価値観を変えるのが「道楽」です。

確かに、学生はコミュニティを選ぶことはできないかもしれませんが、多様化してきた今、生き方を選ぶことは、今までよりも容易ではないでしょうか。

 

学生にもある「既定路線」

昔は、「ゲームは30分まで!」と言われていたものですが(笑)、今ではゲームもeスポーツ」として確立されています。

(参照:https://conobie.jp/article/11674)

知り合いにも、世間的には社会不適合者と言われるような人がいますが、ゲームの世界では「神」と呼ばれたりしています。それでマネタイズできてしまえば、誰に文句を言われることはありません。

今の時代、TikTokもあれば、インスタもあるし、noteもあります。そういったSNSによって、中学生でも1000万円を稼ぐ子もいるそうです。ちなみにその子は、ほとんど学校には行っておらず、いわゆる不登校です。しかしそれは、学校が嫌なのではなく、中学生にして社会人に足を突っ込んでいるからです。親よりも稼いでいて、もうしばらく親の手料理を食べていないそうです。ほとんどの食事は接待で、中学生にしてもてなされていました。彼は、お金を稼ぐことに楽しみを見出しているのだそうです。

中学生にしてそういう生き方をしていることを、良しとするかは人それぞれですが、大事なことは、可能性としてそういう生き方もできるということです。【道楽舎】では、決められた道を進むことを「既定路線」と称していますが、それは学生にも言えることだということです。決して、某少年Youtuberが言う「学校なんか行かなくてえぇ!」なんて言うつもりはありません。ただ、生き方は一つじゃないし、限られたコミュニティで苦しむくらいなら、他にも道はあり、コミュニティは一つじゃない、ということは知っておいてほしいものです。

そこ、土壇場JCTじゃない?どっちに進む!?

 

会社というコミュニティでの苦しみ

学生時代での、狭いコミュニティをやっと抜け出して、自分で選択できる社会人になってからも、世界が広がるが故に、悩みや苦しみも複雑なものになっていきます。

実際、我々【道楽舎】のメンバーも、様々な経緯を経て今に至ります。現在も喜多は、敢えて「既定路線」を進み、潜入調査活動をしている状態です(笑)

「結果」と「過程」どっちが大事?

我々も、「既定路線」を経験したからこそ、人生において何が必要なのかを実感しました。「既定路線」が快適な方は、存分に進んで行って頂ければと思いますが、違和感を感じながらも抜け出せないような人に、【道楽舎】のメッセージが届けばと思っております。

きっと、「既定路線」の人生を歩み、違和感を抱いている方は多いと思います。必ずしも、我々のように新人生を生きる必要はないし、それはそれで大きなリスクもあり、覚悟が必要です。

ただ、「既定路線」から抜け出せずにいる場合、病気や鬱になって苦しむことになり、生きることを諦めてしまう人もいます。

仕事で病気や鬱になってしまったりするのは、無理をし続けるからであって、そもそも「既定路線」が肌に合わないからです。

 

MAXの挫折から見える背景


MAXの話を少し。

私は大学4年の2月の時に、ギリギリ滑り込みセーフで就職が決まりました。その会社は、コンサートを運営するイベント会社で、一般的にはブラック企業と言える職場でした。何とか自分なりに頑張りましたが、頑張り続け、我慢し続け、なんとか耐え続けましたが、ある日、「もう無理」とプッツリと糸が切れてしまい、その足で上司に退職の希望を伝え、その数日後から、もう会社には行くことができず、約一年で退職することとなりました。

私にとってこの出来事は、とても大きな挫折でした。「一年で会社を辞めるようなダメな奴なんだ」「俺は仕事ができない奴なんだ」という自己認識になり、自信を失いました。というのも、一年で会社を辞めるなんて考えもしなかったし、自分の人生設計とは違ったからです。そう思ってしまった背景には、私の父は一つの会社で辞めることなく勤め上げたということがあったり、一般的な「理想」とされる生き方をしようとしていたこと、自分自身への、根拠のない自信が要因だったと言えます。

ただ、結局それは、本当の意味で自分の考えや価値観ではなく、父や、理想とする姿を勝手に自分の価値観にしていただけであって、自身で築いたものではないわけです。言うなれば、外から定められた「正解」を自分の「正解」にしていただけで、その価値観で生きていたに過ぎません。その価値観に縛られて生きていたので、ギリギリになるまで「辞める」という選択肢を選ぶことができず、逃げるように辞めることになり、自己イメージを大きく損なう挫折となってしまいました。

 

乗り越えた今だから見えるもの

「道楽家」となった今の自分からすれば、「全く問題ない!むしろ最高!」と言ってあげられます。しかし、その時の自分は、とても苦しく、仕事を辞めた後もしばらくニートになって、親には心配をかけたものです。(詳しいMAX伝は、また別の機会に配信したいと思っています)

そもそも、「就職しなければいけない」とか、「会社を辞めてはいけない」という考え方は、本当に正しいのでしょうか?

間違っていると言うつもりはありませんが、唯一の「正解」ではないでしょう。それなのに、「それが正解」だと思い込んでしまうと、そうではない時、「間違えた」「失敗した」と、自ずと自身を苦しめることになります。それで病気になったり、鬱になってしまったり、自身を死に追い込むことに繋がってしまうのでしょう。

大人であれば、「正解は一つではない」「道は自分で選べる」という価値観で生きられれば、最悪の事態を回避することはできるでしょう。私自身、当時は正直「死」を考えたりもしましたが、本当に逃げ場がなければ、場合によっては「死」を選んでいた可能性もゼロではなかったかもしれません。

自分で人生を選べる大人であれば、コミュニティを選ぶことは可能です。最近は、様々な個性や可能性に満ちたコミュニティが沢山生まれてきていて、好きなコミュニティを自分で選ぶことができるようになってきました。無駄に苦しむくらいなら、自分にあったコミュニティを探せばいいし、「正解」は一つではないということが認識できれば、苦しみ続ける必要はないとお伝えしたいものです。

 

世間の「答え」なんて、所詮「予定調和」

今回は、「正解は一つじゃない」ということを、主にコミュニティを通して述べてまいりました。何を持って正解とするのかは、人それぞれではありますが、人間である以上、何かしらのコミュニティに属することになります。人生その時々のコミュニティによって、悩みや苦しみは違いますが、問題の本質においては、そこに何かしらの「答え」があり、「正解」を出さなければならないことに苦しむのではないでしょうか。

それを一括りに「既定路線」ということもできますが、【道楽舎】としては、そんな「予定調和」は何も面白くないんですよ(笑)

 

正解以上の正解を

ある意味、「正解以上の正解」を望んでいるのかもしれません。その為には、「正解」を出すために、既存の方程式を使うのではなく、新たな独自の方程式を生み出すことになります。それはまさに、「道中を楽しむ」ことで可能にするものだと思います。

それは、ある意味ギャンブルのようなものかもしれませんが、正解を求めず、道中を楽しむからこそ、「正解以上の正解」を出せるし、既存の「答え」に縛られない生き方ができるのではないでしょうか。

数学のテストでは答えがひとつです。しかし、人生という名の数学では、正解は一つではない。
                                      (喜多ばぐじ)

自分の人生に向き合い、自分独自のオリジナルな計算式を解き続けている、解答に向けて四苦八苦しているその末に導き出した回答は、どんな数字であろうと「正解以上の正解」なのです。

さて、今回は大ボリュームの内容になりましたが、実は、言いたいことの半分しか言えていないので、次回も、今回の続きにあたるコラムを配信する予定です。

「既定路線」やコミュニティで苦しんでいる方に届けば幸いです。

 

 
 
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