先日、MAX個人のnoteで、「大事なのは反省より分析」というコラムを配信しました。
その中で、「道楽的分析」という言葉が生まれ、道楽舎としても重要な認識であると思えたので、掘り下げていきたいと思います。
ちなみに、トップ画像はウルフルズのアルバム『let’s go』のジャケットなんですが、「反省なんかしない」という曲が収録されているんです(笑)
ウルフルズは、道楽的なアーティストだと思うので、いずれ特集するかもしれません(^^)
「道楽的分析」がただの分析ではなく、どういったものなのか。一般的な反省と何が違うのか。「道中を楽しむ」という理念の元、深掘りしていきます。
掘り進めていったところ、かなりの深さとボリュームになってしまったので(笑)、「上・中・下」の三部作でお送りしてまいります。ですので、じっくりと気長にお読みいただけたらと思います(^^)
【「反省」を推奨しない理由】
「反省」とは、過去を省みるものです。過去の失敗や過ちを振り返ります。誤解して欲しくないのは、反省行為そのものを否定する訳ではありません。誰かに対して迷惑をかけたり、傷つけてしまったのなら、もちろん謝った方がいいです。仕事で失敗してしまったとしたら、同じミスを繰り返さないように、なぜ失敗してしまったのか、原因や理由を考える必要はあると思います。
ただ、なぜ「反省」を推奨しないかというと、自分が悪いということが前提となってしまうからです。反省によって、自己嫌悪してしまったり、自己卑下してしまったり、自分を否定してセルフイメージを低下させることが往々にしてあると思います。
きっと、自分を愛せない人や、自分が嫌いな人というのは、反省が好きなのかもしれません。まぁ、ドMですね(笑)そうやって自分自身を「悲劇のヒロイン」に仕立てあげて美談にしたり、そんな自分に酔ったり、それで罰を受けたような気になっているだけで、何の解決にもなっていない。そんな風にドツボにはまることがあります。
【「反省」の代わりに「分析」をしてみる】
「分析」は反省のように善悪で判断するのではなく、客観的な原因結果として見ることができます。事象を事象として捉えることができ、そこに主観や感情は介在しません。まぁ、それが一番難しいんですけどね(笑)。
感情は時として事実を歪めます。ですが、なかなか自分自身のことを客観的に見ることは難しく、簡単にできることではありません。だからこそ分析によって、感情を抜きにした事実関係を把握し、その上で、自分の責任を判断したらいいと思います。背負えない責任を負わされるから潰れてしまうんです。
なので、反省を押し付けられたり、感情的に反省して悲劇のヒロイン気取って下手にメンヘラ化して拗らせてしまう前に(笑)、ぜひ道楽的分析を身につけることをお勧めします!
次回は、【道楽的分析の指標(中)「時間の流れ」】をお送りいたします!
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