道楽的「自由」の定義

道楽的「自由」の定義

今回のコラムは、MAX7割、カミィ2割、喜多1割でお送りしていきます(笑)

今回は、道楽舎にとっても中心になり得るコラムになるかと思います。

「自由自由」と色々な人が様々な所で発信していますが、人それぞれ定義や認識は違います。道楽舎は「自由」が重要なテーマの一つでもあるので、一つ、道楽舎の掲げる「自由」について記しておきたいと思います。

道楽舎が掲げる「自由」とは

自由とはどういうものでしょうか?

辞書によれば、

自分の意のままに振る舞うことができること。
他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること。

という意味があるそうです。

道楽舎の考えとしては、「自由」とは、

「何にも捉われることなく、好きに発想し、思考すること」

に尽きます。

「あれ?行動の自由はないの?」と思われる人もいるかと思います。

もちろん行動の自由も出来る限り目指すのですが、身体を持つ人間にとって、好きなように行動するにしても、どうしても物理的な制限があります。お金、健康、交通手段、法律、これらはほんの一部ですが、自由を「実行」しようとしても、何かしらの条件や準備が必要になります。

ちょっと想像してみてください。

仮に、あなたが100億円手にしたとします。100億円を手にして、あなたは自由ですか?

金額を気にすることなく好きなものが買え、食べたい物を食べ、好きな服を着ることができる。今まで行けなかったところに行くこともできるし、プライベートジェットだって持てるでしょう。仕事をする必要もなく、時間も好きなように使うことができます。一部を投資に回して、利回りによってさらにお金を増やすこともできます。

さて、あなたは自由ですか?幸せですか?

もちろん、お金で買える幸せも、自由もあると思います。しかし、大金を持つことでお金目当てではなく、あなた個人と本当に向き合ってくれる人はどれだけいるでしょうか?

仮に、失敗しないドクターXがいて、どれだけお金を積んでも、治らないような病気になってしまうことだってあるかもしれません。

また、せっかく貯めた資産を詐欺やハッキングによって失う可能性もあります。

ボランティア団体や宗教が、物乞いのような目で、まるで寄付することが正義だと言わんばかりに、ひっきりなしに訪問があるかもしれません。

現実的に言えば、自由度は高いかもしれませんがプライベートジェットを使うにしても、空港や管制の指示に従わなければならず、飛行機に限らず、車を運転するにしても交通ルールを守らなくては余計に危ないですし、公共の場所では、その場の決まり事を守らなくてはなりません。

肉体が有限であること、また、他の人の存在や社会的なモラルや制約や法律がある以上、どんなにお金があって自由性が高くても、この「行動的自由」と言えるものには、完全な自由はないし、意外と弊害が多かったりします。

思考的自由と行動的自由

道楽舎が掲げる自由は、「思考的自由」だと言えますが、「行動的自由」と何が違うのでしょうか?

「思考的自由」「行動的自由」とは比べ物にならないくらい自由度が高いと言えます。なぜなら、考えることは、脳が正常に働いていさえすれば、どれだけでも思考を巡らすことはできるでしょう。

仮に支配的な暴君に奴隷として身体を拘束されていたとしても、自分の心で思うこと、頭で考えることまでは縛ることはできません。

しかし、そうは言っておきながら「思考的自由」にも、実は「行動的自由」よりも大きな罠、落とし穴があります。

それは、一言で言えば、「洗脳」です。

身近な所にある「洗脳」

「洗脳なんて私には関係ない」と思った方も多いかもしれません。しかし、宗教や詐欺など、身近な所に数多く存在しているのです。例えば、テレビなどのメディアなんかは、弱いながらも洗脳が混じっています。以前「ステマ」という言葉が話題になりましたが、有名人が発信するものには影響力がありますよね。他にわかりやすい例で言えば、ラーメンの特集をしていたら、ラーメンが食べたくなったり、ハンバーグ特集をしていたら、ハンバーグが食べたくなったりします。これは、ある種の情報による操作であり、微弱ながら「洗脳」と言えなくはありません。実際、夕方のニュースなどで、グルメリポートを観ていて、夕食を決めることもあります(笑)

もっと強いものだと、学校教育がそうです。「教育」の中には、支配者や権力者による何かしらの「洗脳」が混ざっています。しかも、数年に渡って行われるし、人格形成途中にあるものなので、中々根深いものがあります。わかりやすく言エバ、韓国や中国を見たらわかると思います。事実であろうとなかろうと、反日教育をしていることで、何かあったら日本に向けて、恩ではなく怨を向けてきます。

そして、その中でも一番強い「洗脳」とは、「親の教育や観念」と言えるかもしれません。ここは、実はかなり根深いものがあるので、道楽舎としても、重要で外せないポイントだと思っています。『進撃の巨人』でも、「教育や親による洗脳」などを描いたりしていますよね。

「洗脳」というと、印象が悪く聞こえがちですが、誰でも何かしらの「観念」に縛られているものです。洗脳にかかっている時ほど自分では気付けないもので、かく言う私も、何かしらの観念に縛られていたり、洗脳にかかっているかもしれません。ただ、一度その洗脳に気付いて自身の力で解放した経験があり、そのメカニズムがわかるので、人よりは気付けるという自負はあります。だからこそ、「道楽家」になったとも言えますが、それはまた、別の話(笑)

道楽的自由を得るには

「洗脳」の厄介なところは、当の本人がその状態に気付けないことにあります。むしろ、それが正しいと思ってしまうことです。だからこそ、自分が自由に思考していると思っていても、実は知らず知らずのうちに方向付けをされていたり、例えば親に「ダメ」と言われたことは考えられなかったり、学校や社会で教わった価値判断を元に考えたりしてしまうものです。「なぜダメなのか?」ということは、表面的にはわかると思いますが、人に言われたからではなく、学んだことや情報をそのまま受け取るのではなく、それらを元に自分自身で考え、掴んだものでなければ本物ではありません。何かに捉われた状態では、「行動的自由」ほどではないにしても、思考するにしても制限をかけてしまい、道楽舎が掲げる自由ではありません。

物事は、視点を変えることで、見え方が変わります。

「道楽的自由」というのはまさに、ただ視点を変えるというのではなく、「視座を高く持つ」ということが必要となります。高く広い視点で物事を見ることもできれば、敢えて一点にフォーカスして、集中してその状態を味わうことができる。それが、「道楽的自由」というものです。

かのナポオレン・ヒルの著書『思考は現実化する』は世界的に有名ですが、人の言動の元には「思考」があります。思考したことが、発する言葉や行動になりますが、「行動的自由」は「思考的自由」を超えることはありません。

「道楽的自由」とはつまり、「思考的自由」を元に「行動的自由」も可能にした状態ということです。より高い視座を持った「思考的自由」を手にすることが、「行動的自由」を広げることになります。

自分で掴み取ってこそ「自由」

道楽舎は、お金も教育も否定はしません。ただ、大事なのは、「捉われないこと」であり、「自分で考える」ということです。

「道楽」という響きは、一見楽そうで、いい加減な感じに聞こえるかもしれませんが、実は、とても厳しく難しくもあります。だからこそ、道楽の道を進むことは、通常では得られない「自由」を手にすることができるのです。
また、自由を知る為には、不自由を知らなければなりません。支配や洗脳という不自由を味わった分だけ、自由になる喜びも深くなるでしょう。ここも重要なポイントではありますが、別のコラムで取り上げたいと思います。

私もまだまだ「あまちゃん」ですが、自由に生きたい、人生を楽しみたい、でもどうしたらいいかわからない、わかってもらえない、というような方がいたら、ぜひ一緒に「道楽的自由」を手にしていきたいと思っています。何ものにも捉われることなく、自由に考え、道中を楽しんでいきましょう!

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