今回のコラムは、MAX7割、カミィ1.5割、喜多1.5割のエッセンスでお送りいたします(笑)
『ONE PIECE』に見る道楽家の生き方
【道楽舎】では、道楽とは何か、道楽家とはどういうものか、ということについて発信し、道楽家として道中を共有できる仲間を集めています。
前々回から「自由」というものについて、道楽舎として定義し、「道楽的自由」を提唱しました。
そして我々、アニメやドラマが好きなんですが、「物語」というものに惹かれるわけです。なぜ「物語」が人を惹きつけるかについてのコラムはこちら。
私MAXは、「神アニメ研究家」として、「神アニメランキング!虹見式」という神アニメのコラムサイトを運営していますが、noteでは、世界一の漫画『ONE PIECE』について、ルフィの名言を中心に、『ONE PIECE』を振り返りながら、「ルフィ名言シリーズ」を紹介しています。
なぜルフィを取り上げたかというのは、ルフィ自身、「道中を楽しむ」主人公なので、それだけでも「道楽家」がどういうものかがわかると思うからです。ただ、今回は、ルフィ個人を取り上げるというより、『ONE PIECE』を「道楽的」に見るからこそ、見えてきたものがあるので、「道楽家の生き方」と照らし合わせて紹介したいと思います。ルフィの魅力については、「ルフィ名言シリーズ」でお送りして行くので、そちらをご覧ください(笑)
『ONE PIECE』は世の流れを描いている
『ONE PIECE』は、「大航海時代」という背景で、「海賊」を主人公として、「正義」を掲げる海軍を敵として描かれています。
これは、面白い視点ですよね。始まった当初は、「海賊が主役?」と賛否両論ありました。表面的に見る浅はかな人は、「悪を助長するのではないか」などと浅っさい批判をしていましたが、所詮それは「オモテミ」であり、このような表面的に物事を見る人を「オモテ民」と名付けます(笑)
(MAXが提唱している、裏にこそ隠れている本質を読み取る「ウラヨミ」はこちら)
それは置いといて、物語では、正義と悪、敵味方に分かれて描かれるものが多いです。
例えば、刑事モノでは、警察は当然「味方」であり「正義」として描かれます。中には、「警察の闇」を描く作品もありますが、主人公は「正義の刑事」であることがほとんどです。外部の人間が主人公で、警察の闇を暴く、というような描き方はほとんどありません。
しかし、『ONE PIECE』では、「正義」が敵として描かれています。そして海賊が「自由の象徴」として描かれ、大海原に飛び込んでいきます。
主人公が「海賊」なので、海軍が敵として描かれていますが、「悪役」ではありません。むしろ「悪役」は海賊の方です(笑)。海軍の中にも、あくどい奴はいますが、やはり海賊の中の方が、大悪党がいます。なぜなら、「海賊王」を目指し、莫大な財宝である「ワンピース」を手に入れる為に競い、争うからです。
「海賊王に俺はなる!」
と宣言しているルフィは、その航海の道中で、受けた恩を返しながら、その舞台での敵である気に入らない奴をぶっ飛ばしていきます。
その敵は、海軍よりも海賊の方が多いです。相手が海軍だった時は、モーガン大佐とCP9編、インペルダウン編、頂上決戦編くらいです。大体は気に入らない海賊を倒しながら、海軍が来たら「逃っげろー!!」となるわけです。銭形警部が現れた時のルパンのように(笑)
「海賊」を通して見える社会構図
一言で海賊と言っても、色んなタイプがいて、社会構図にも置き換えることができます。
「四皇」と呼ばれる、海軍でも手が出せないくらいの強さと規模を誇る海賊は、言わば「GAFA」のような存在でしょうか。あのクラスになると、国を超えているので、支配しようとするよりも「GAFA」の為にルールが変えられたりするほどの存在です。大部隊を結成し、多くの海賊団を傘下に置いています。
「七武海」は、海軍公認の海賊で、自由と引き換えに海軍と結託して、弱い海賊を狩り、「四皇」とのパワーバランスを注意しながら、秩序を保つことに貢献しています。しかし、根が海賊なので、海軍に隠れて、クロコダイルやドフラミンゴのように悪いこともしています。どこか中間管理職のようでもありますね(笑)
そして、「麦わらの一味」のように、そのどちらにも属さない小規模の海賊が大勢います。
海賊に対して「海軍」がいますが、「海軍」は、それぞれの正義を掲げながらも、個人よりも組織を重視しています。海軍が掲げる「正義」の名の下に、個人よりも組織を優先して行動します。
余談ですが、海軍の中で、最も海軍らしい人といえば、インペルダウンの副署長ハンニャバルではないでしょうか?
出典:ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社
海賊は、「海賊旗=信念の象徴」を掲げ、大海原を自由に生きる存在です。海賊なので、大半は悪いことをしますが(笑)、海軍や常識に支配されずに生きようとしています。
とはいっても、私たちも一人では生きていけないように、海賊になったからといって、全てが自由に生きていけるわけではありません。「海賊団」という組織に所属することがほとんどです。ルフィはできないことが多く、始めは「仲間が10人は欲しいなぁ~」と宣言し、現在9人が仲間になりました。このように、大なり小なり他の海賊と同盟を組んだり、ドレスローザ編の最後では、本人の思惑とは裏腹に勝手に6000人規模の海賊団に膨れあがったりして「窮屈」と嘆いています(笑)
出典:ONE PIECE/尾田栄一郎 集英社
海軍と海賊が象徴とするもの
前置きが長くなりましたが、『ONE PIECE』の中では、海軍か海賊に分かれて描かれます。
その海軍と海賊の役割や象徴するものとして、
「海軍」は「既得権益」や「規制」
「海賊」は「社会に抗い自由を求める存在」
と言えるのではないでしょうか。
言い換えるなら、海軍は「公務員」や「大企業」であり、海賊は「起業家」、一般市民は大衆=マジョリティという感じです。
今の時代、もはや公務員や大企業に入ったからといって安泰ではありません。むしろ、組織が大きくなればなるほど、規制が強くなり、自由は奪われます。「海軍」に所属するならもちろんですが、「海賊」であっても、生き延びるためには、倒すか従うかしかありません。海軍では「正義」に支配され、海賊では「恐怖」によって支配されます。どちらにせよ、支配するか、支配されるかの立場でなんとか生き延びることができています。
そのどちらでもない、第3の道を提示しているのが、「麦わらの一味」です。
我々の実社会においても、国や会社や組織の何らかの支配を受け入れなければ、生きて行くのは困難です。
『ONE PIECE』という作品が大人気になった理由も、こういう時代だからこそ、本当は誰もが(本音では)そうしたいのに様々な理由でそれが難しいと感じている人々にとって、一見「悪」とされる「海賊」という設定で、【海賊王=この海で一番自由な男】を目指して冒険するルフィという主人公の生き方がとても魅力的に映り、窮屈な社会で閉塞感を感じている大衆の声なき声 = サイレントマジョリティの心の叫びを代弁しているからなのかもしれません。
後半では、海賊と社会構図を置き換えて、もっと踏み込んで行きます。その中で「道楽家の生き方」がどのようなものなのかについて、述べてまいります。
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