【道楽舎】が提唱する「働き方」(働き方三部作・後編)

【道楽舎】が提唱する「働き方」(働き方三部作・後編)

 

前回までを振り返り

前編・中編と、「働く」ということについて、労働社会の「闇」について言及してきました。中編では、青いピルを飲んで踏み込まなかった方もいるかもしれませんが…(笑)、今の社会がどんな構造で、どうやって巧妙な罠が張り巡らされていたのか、少し垣間見られたのではないかと思います。

人はなぜ働くのか?「あたり前」に仕組まれた罠(働き方三部作・前編)

労働社会の表と裏、二項対立の罠(働き方三部作・中編)

そして、単に労働社会の闇を知るだけでは、今の状況をどうすることもできない…ということもわかってしまった。それだけでは「絶望」を明らかにしただけで、ただ皆さんを不安に陥れただけになってしまいます…(笑)

後編となる今回は、このような絶望したくなる現実を目の当たりにして、できる限り「希望」を見出すような内容にしていきたいと思います!

 

労働社会が存在する意味

私たちは、「希望は絶望から生まれ出ずる」と考えております。

「パンドラの箱を開けたら、世界に様々な災いが飛び出し、最後に残ったのは『希望』だった」

と言われています。


(これは『リゼロ』のパンドラでしたw)

ある意味それは、「希望とは何かを知る為に、絶望を知る必要がある」とも言えます。不幸がなければ幸福もなく、不安があるから安心もできるものです。

決して、労働社会を悲観するだけではなく、考え方によっては、本当の生き方や働き方を知る為に、敢えて罠にハメられているという視点もあるかもしれません。

つまり、「労働社会の罠」だと気付くことができたのなら

自分が望む生き方や働き方に変えるきっかけにすることもできるというものです。例えば今のコロナ禍だって、不便を強いられたり、コロナのせいにしたくなることは沢山あると思います。しかし、今までの生活がめちゃくちゃになったからこそ、見方によっては、何が自分にとって必要なものなのか、誰が自分にとって大切な人なのか、何が自分の本当の本音なのか…を知ることができるのかもしれません。

 

至る所に二項対立の罠が…

一方の視点しか持てなければ、二項対立の罠にまんまとハメられてしまいます。冒頭でも触れた、幸不幸に関しても同じことが言えます。人生に訪れる不幸を否定して、それを単に悪いものだとして排除して、幸福だけを求めて右往左往しても、実は本当の幸福は得られないものです。巷で横行している、やっすいポジティブシンキングだったり、薄っぺらい幸せを教えているスピ系だったり、上っ面の成功を目指すビジネス塾だったり、詐欺まがいのコミュニティサロンや団体だったり(^^; …がとても多い昨今、二項対立の罠にハマると、「自分達こそ正しい!」「我々の方が優れている!」「正義はここにある!」というお題目と共に、このような魑魅魍魎がワラワラとあなたの周りに湧いてくることでしょう。(笑)

中編でも述べましたが、幸不幸で言えば「幸福」だけを追求し、何でもかんでもポジティブを強要する『ポジティブハラスメント』。成功失敗で言えば「成功」だけを良しとする『成功ハラスメント』等々…にも同じことが言えるでしょう…。「こうすれば幸福」「こうすれば成功」、それ以外は「不幸」「失敗」。見渡してみると、至る所に二項対立の罠が仕掛けられていると実感します。(^^;

前・中編で、労働社会の罠という枠組みに触れましたが、後編となる今回は、以上を踏まえた上で、二項対立を抜け出し、自由自在に自分らしく生きられるきっかけになるような視点を持ってもらえたらと思っています。

 

働くことの本質

前・中編で、労働社会の闇や罠について言及してきましたが、改めて「働く」ということについて考えていきましょう、

「働く」ことの本質は、「傍を楽(幸せ)にする」ということです。ナウル共和国の「働かなくても良い」ということで幸せになれないということは、それは「傍を楽にしていないから=他人を幸せにしていないから」ということになります。「労働」も、形においては誰かの役に立つことではあります。「ありがとう」と言ってもらえたり、誰かの役に立てたという自己肯定感も得られたり、承認欲求を満たせたりもします。

しかし、どんなにやりがいがあっても、それに見合った報酬を得られなければ労働は成り立ちません。言われたことをする労働では、本質的に自分が楽に(幸せに)なるというものでもありません。労働(労力と自分の時間)を差し出さなければなりませんからね。

もちろん社会全体を円滑に回していくためには、労働も必要なことです。また、自分でやりたいことを見つけられていなかったりする場合は、日々労働する中から自分のやりたいことや特性を見つけることもあります。しかし、労働は強制されるものではなく、目的にするものでもありません。かといって、現在の労働社会や貨幣経済の仕組みそのものを変えることは簡単にできるものではないし、もしやろうとすれば、なんらかの革命を起こすことになります。この場合は、失敗すれば単なる「テロリスト」になり、仮に成功したとしても、今度は自分が「支配者」にならなければなりません。

まぁ、そんな面倒なことはやってられないので…(笑)、【道楽舎】として目指すべきところは、現状の社会において、既定路線という枠をはみ出し、いかにしてより自由に、より自分らしく生きるかということです。この「はみ出す!」っていうのがポイントですね。(笑)

その為にも、自分自身が本当に「傍を楽(幸せ)にする」という本質的な意味で働かなければ、「労働社会の罠」を抜けることはできないでしょう。

 

道楽的な働き方 feat.HUNTER×HUNTER

【道楽舎】としては、「傍を楽にする」という本質的な「働き」をいかにして実現させるか、ということを目標にしています。まだ暫くの間は貨幣経済が続く以上、当然お金が必要になるし、「傍を楽にすれば、報酬はいらない~」なんて薄っぺらい偽善や綺麗事は言いません。ちゃんと報酬は欲しい!(笑)

ただ、その報酬のみを目的にして働くのではなく、どんなことをやって「自分のお働き」を為すか。その道中を存分に楽しむこと面白いことや価値あるものを生み出していくこと自分にしかできないことをすることこそが、【道楽道】においては大事なものです。

【道楽舎】もテーマとして掲げている、HUNTER×HUNTERのジンのセリフにもこうあります。

「道草を楽しめ、大いにな。欲しいものより大切なものが、きっとそっちに転がってる」

我々は、この「欲しい」より「大切なもの」を目的にしています。欲しいもの(報酬・お金)を手にするために「働く」のではなく、「欲しい」はあくまで目標やきっかけとして考え、手に入れるまでの道中に得られる「大切なもの・大事なもの」こそが、一番の報酬だと考えています。

逆説的ですが、報酬や対価を得られなくてもついついやってしまう事の中に、実は本当の自分の天職が隠れているかもしれないということです。英語で言えば、「Have to」ではなく、「Must to」という感じでしょうか。他者や客観的に与えられる義務ではなく、自分の意思で行う事ということです。

まあもちろん、報酬はあくまでその結果として、お有り難く頂戴はしますよぉ~~(笑)。でも、我々の働きがもし役立たずなことであれば、それはそれで受け入れる。これからの時代、これが本当の意味で人々や社会に役に立つものや良いものを生み出すことができる「秘訣」だと思っています。

大事なのは、今まで一般的に言われてきたような、羨ましがられる職に就くことでも、安定した職に就くことでもなく、高収入を得ることでもなく、強制感や努力感なく自分の特性を生かして幸せでいられる「ベルーフ(天職)」に就くことではないでしょうか。就労が嫌だからと言って、起業すればいいわけでもないし、高収入の会社に勤めればいいわけでもない。仮に、投資などで大金を稼ぎ、不労所得だけで生活できたとしても、「傍を楽に」しなければナウルの二の舞となり、必ずしも幸せには生きられないでしょう。

欲しいものを手に入れるという「結果」だけを目的にするのではなく、就労でも起業でも「ベルーフ(天職)」という「道」を進むことが、本質的に人生を幸せに生きられる重要なポイントです。

そして、その道を進む上で、道中にある「大切なもの」と「必要なもの」について、漫画ONE PIECEを参考に考えていきましょう。

 

個人でやりたいことと、会社でやれることは違う

仮に【道楽舎】として仕事をするとしたら、便宜上、値段設定は必要になると思います。ですが、【道楽舎】としては、名誉やお金よりももっと大事にしたいものがあります。それは、【道楽舎(Do Luck Share)】という名前にもある、「シェア(共有)」できる相手です。つまり、共に道中を楽しめる仲間です。

世の中の会社組織のように、「何かを成す為に人を集める」ことも必要ですが、それよりも、「その人がいるからこそ出来ることがある」と考える方が、もっと面白いことが出来るんじゃないかなと思うからです。

それに、個人では成り立つことでも、組織になった途端、成り立たなくなることがあります。今の社会においては、会社は利益を出さないと存在することができず、どうしても利益が目的になりがちです。友人同士で共同経営をすると、もし利害関係がお互いに拗れた場合は往々にうまく行かないというのもよくある話です。

今話題の、元雨上がり決死隊の宮迫氏が進めている「牛宮城」も、人気Youtuberのヒカル氏との共同経営が話題となりましたが、結局、ヒカル氏は撤退することとなりました。宮迫氏一人でオーナーになったものの、それはそれで方方から「絶対失敗する」と批判の的になっています(^^;。


それは、事業は「成功しなければいけない」という労働社会の価値観だから、なにかと批判されてしまうのでしょうけど、宮迫氏の場合、成功したらしたで、批判されそうです(笑)

3月1日にOPENということで、開店してどうなるかを見守りたいと思いますが、本人がやりたいことなんだから、成功しようが失敗しようが、好きにやらせればいいと思うんですけどね…(^^; まぁ、批判する人も批判することで、Youtubeのネタにしているのだから、本当は、話題を提供しているだけでも、宮迫氏は「お働き」を為しているのかもしれませんね。

そういう意味では、宮迫氏はすでに「成功」しているのかもしれません。

 

「何」をするか、だけじゃなく「誰」とするか

自分一人では、やれることは限られてしまうし、人を集めて組織化するからできることもあります。しかし、前述した通り、起業しても様々な問題があります。労働社会の仕組みで仕事をする以上、そのルールに従わなければなりません。それに、友人や仲間と起業しても、「牛宮城」のようなこともあったりします…(^^;

自分を生かせる「ベルーフ(天職)」の会社に勤められたとしても、職場にどうしても合わない人が居る、なんて問題もよくあるものです会社でのほとんどの悩みは「人間関係」で、そこがうまくいけば、問題の8割は片付くそうです。仕事として「何をするか」も大事ですが、もしかしたらそれ以上に「誰とするか」も大事なのかもしれません。そう考えると、今の会社組織の制度では、自分の努力云々よりも「職場ガチャ」が、その仕事のQOLを決めることになっていますよね…^^;

 

ONE PIECE』に学ぶ人間関係論

ルフィの裏のない仲間意識

人間関係論では、ONE PIECEはビジネスの場でも取り上げられています。

「麦わらの一味」は、理想的な組織(チーム)の一つだと思いますし、【道楽舎】としても、目指すべきチーム像だと考えています。


麦わらの一味は、実はみんな目的が違います。例えば、船長のルフィは海賊王。ゾロは世界一の大剣豪。サンジは世界中の海の食材があるというオールブルーを見つけること。ナミは世界地図を描くこと、…などなど。みんな目的は違いますが、それぞれの夢に向けて、同じ船に乗っています。

麦わらの一味は、ルフィが半ば強制的にスカウトした訳ですが、ポイントは、自分にできないことができること自分に持ってないものを持っている。そして、何よりルフィが「気に入る」ことです。

三部作の中編で、ジョブズとゲイツの例を出しましたが、きっとルフィは、別に誰かに裏切られても構わない、と思っているのでしょう。そもそも裏切られるとも思ってないのではないでしょうか。だって「裏」なんてないから。ただ単に仲間の良い部分だけを見ているのではなく、ルフィ自身ができないことを自分で認めているように、ウソップに対して、ウソップができないことを求めてないんですよ。ウソップにしかできない所を認めているのだから、ウソップが一味を抜けると言ったときも、男の決闘をした訳です。

その際は、ゾロがけじめとして、「謝ってこない限り許さない」とルフィを戒めましたが、戦いを終え出航する際は、ゾロもウソップが謝ってくるまで、聞こえないフリをし続けました。


格好つけていたウソップですが、結局素直に謝り、その瞬間、ルフィは文字通り手を伸ばしました。


ロビンが抜けようとした時も・・・


サンジが抜けようとした時も・・・

ルフィは、本音でぶつかり引き止めました。

それくらい本気で向き合える相手と、仲間になりたいものです。就職するにしても、そういう方が社長の会社だといいですね(^^;

 

既成概念に捉われない麦わらの一味

麦わらの一味は、それぞれ目的は違っても、目的地までの航海(道中)を、気の合う仲間と楽しみます。時には、仲間の為に寄り道もするし、面白そうだったら道草も食う。場合によっては、仲間ではなくても首を突っ込むこともある。でも、決して報酬のためには動きません。(ナミだけは算段を立ててはいますが、そういう存在もいないと、チームが立ち行かなくなる…w

強いていうなら、恩に報いる為になら、報酬なんて関係なく動くのも、ルフィの魅力だと言えます。その結果、ある国は救われ、民衆は支配から解放されたりします。ルフィ達も、最終的に欲しい以上のものを手に入れてしまう…というのも、麦わらの一味の魅力を表しているのではないでしょうか。

『ONE PIECE』の世界においても、既成概念に縛られない「麦わらの一味」を描くからこそ、面白いのでしょうね。

また、唯一グランドラインを制覇したロジャー海賊団は、航海を終えた後は解散し、それぞれの人生を歩みました。なぜなら、目標を成し遂げたからです。これを、会社に例えるなら、ありえないことでしょう。業界No.1になったのに、解散するようなものですから。まだまだ利益が出てるのに、会社をたたむということは、もったいなさ過ぎですよね。

このように、ロジャーもルフィも、その時代の常識や既成概念に囚われなかったことで、その道中において、本物の仲間と本質的成果(大事なもの)を手にいれています。

 

漫画業界に見る、個人と組織

ちょっと脱線しますが、人気漫画などでもよく、ストーリーが引き伸ばしされる作品があります。例えば『ドラゴンボール』は、当時あまりにも人気があり過ぎて、関係各社の経済的にも影響が出るということで、連載を引き伸ばされたことで有名です。ちなみに、本来は「ナメック星編」で終わる予定だったのが、「セル編」に伸び、さらに「魔人ブウ編」にまで伸びたのだそうです。作者の鳥山明先生は、最初は描きたくて始めたはずなのに、途中からは辞めたくて仕方なかったんだとか…(^^; こういった面でも、個人でやりたいことが、組織に入ると思い通りにできなくなるということを表していますね。ただ、あの時代では組織の力がなければ、世に知れ渡ることも難しいわけです。

漫画一つとっても、世に出るチャンスは以前よりも増えていますが、やはり大手雑誌のネームバリューは大きいものがあります。昔よりも、あからさまな引き伸ばしは少なくなっては来ていますが、漫画業界も、いかんせん経済社会の一部なので、労働社会の罠に抗えないものもあるでしょうけど、天才である鳥山明先生でさえ巻き込まれたのですから、たとえ天下の「少年ジャンプ」に掲載されたとしても、一概に幸せかどうかはわかりません。

『進撃の巨人』は、はじめは集英社に持ち込んでもダメだったので、その後講談社に持ち込むも、月刊別冊マガジンなら…ということで掲載されました。それが、今では人気トップクラスの作品となったわけですが、幸い月刊誌という制作時間の余裕と、何より作者の諫山創先生が描きたいものを描けたということが大きいのではないでしょうか。もちろん、読者の反応や編集とのやりとりもあったとは思いますが、特に『進撃の巨人』の世界観を、諌山先生がありありと持っていたからこそ、無駄な引き伸ばしもなく見事な完結を迎えたのだと個人的には思っています。


(アニメ勢の方は、Fainal Seasonを存分にお楽しみ下さい!)

理想を言えば、社会や組織に左右されないだけのものを作ることができれば、それが一番良いのでしょうね。その為にも、無駄な忖度や、強制や努力感なく、圧倒的に好きを突き詰めることができるかどうかが大事になってくると思っています。その一つの代表例が、『映像研には手を出すな』です。

「道楽舎には手を出すな!」

【道楽舎】としては、自分達もそう在りたいと思うし、そういう人を応援したいと思っております。

 

「お働き(おはたらき)」について

散々、「働く」「働き方」と述べてまいりましたが、最後に触れておきたいのは、「お働き(おはたらき)」という言葉です。

「働く」とは「傍を楽にする」ことであり、言い換えれば「役割を全うする」とも言えます。

人それぞれ能力が違い、立場や環境が違えば、役割も変わってきます。

「お働き」という言葉には、どこか大いなる存在を感じさせるものがあります。単に「働く」という個人的な欲や、意図して何かをするというものではありません。もっと超自然的で大いなる意思によるもののような、そうなるべくしてなったというような、それはまるで、神の為す御業とも呼ばれるようなものです。古来から日本には「八百万の神」といって、天地自然界のすべてに「神」が宿っているという思想があります。太陽も海も草も木も火も水も、全ての小さな生き物、河原に転がる石コロにまで、それぞれ大切な「おはたらき」があると観じてきたのです。

【道楽舎】は、一般的な信仰のような「外にある神」を崇めようとするのではなく、「我も神、彼も神」という日本古来からある考え方を大事にしています。自分が「神」になるというのは、崇められる為でも、教祖になって偉ぶる為でもありません。本質的に「傍を楽にする」という「お働き」を為すには、人間的な観念を超える必要があります。仏教ではそれを、「悟り」や「覚醒」というのかもしれませんが、自分の中にある「神(本質)」を掴むこと、常識や観念に縛られていない純粋で自由な心を取り戻すことが、労働や働くことを超えた「お働き」になるのだろうと考えています。

簡単に言えば、「たとえ止められようとも、どうしてもやりたいことをやろう」ということです。労働社会においては、一般的に当たり前とされる常識を振りかざして、「そんな事ではうまくいかない」「成功しない」というような言葉で否定されたりすることもあるでしょう。たとえ誰かや何かに否定されたり、積極的に邪魔をされたとしても、自分の中にどうしても抑えられない強い思いがあるのなら、それはきっと「お働き」につながる思いなのです。その思いをいかにして実現していくか。それが重要なことで、就職とか起業とかは二の次です。起業して「お働き」を為せないなら、長い目で見たらあまり幸せには繋がりません。私もそのような人達をたくさん見てきました。仮に就労していても、「お働き」を為せるなら、それが「ベルーフ(天職)」であり、その人の進むべき道なのだと思います。起業するにせよ就職するせよ、どちらが(お働きとしての)自分らしくいられるか。その為には、心の内の内にある、押し付けられた観念を取っ払った「本音を知る」ことが必須になってくるでしょう。

 

自分に軸を持ち、お働きの自覚を持つ

要は、自分自身の中に「軸(お働きの自覚)」さえあれば、「形態」は、なんでも構わない。ということです。

これは、別に「職業」にすら囚われる必要もありません。例えば、専業主婦(主夫)としてパートナーを支えていたり、子供を育てていたり、親の介護をしていたり、誰かが「あなたが居てくれてよかった」と言ってくれるのなら、あなたは立派に「お働き」を生きているのです。もっと極端なことを言ってしまえば、たとえ今、あなたが何もしていなかったとしても、あなたがこの世界に存在していること自体が、さらに大きな神の視点から観れば、掛け替えのない「お働き」なのだということです。

その「お働き=あなた自身」に気づくためには、まず、この三部作のコラムで耳タコなくらい申し上げている「良い悪いの二項対立の罠」を抜けることが必要になります。知らず識らずのうちに植え付けられた常識や善悪の観念は、自分の本質や本音を隠すフィルター(色眼鏡)のようなものです。人生には、様々な悩みや苦しみは尽きることはないかもしれませんが、そういった一見ネガティブな出来事こそ、実はそのベールを脱いだ時、文字通り「目から鱗が落ちて」自分の本当の本音、神としての自分を知るきっかけにできるのではないかと思います。

 

仕掛けられたジョーカーゲームからの脱出

昨今のコロナ騒動によって、世間では「ソーシャルディスタンス」「リモートワーク」「緊急事態宣言」という大号令のもと、いつの間にか、人と人とが物理的に繋がることを禁止されるような異常な状況が増えてきました。その結果、飲食店をはじめ、中小企業の多くの職種では厳しい経済的苦境に陥り、倒産による失業や派遣切りも増えていっています。政府やマスコミは「命を守るため」と、声高に叫んでいますが、「目的と手段を履き違える」と、本当に守るべき命すら守れない本末転倒な事態になりかねません。また、このように人と人の親密な繋がりを絶たれた場合、多くの人々は、より「孤独」を感じるようになり、孤独を感じると、人はマスメディアが垂れ流す「恐怖」や「不安」に一層敏感に反応するようになります。このような状況は、体制側が民衆をコントロールするためにはとても都合の良いものです。今まで散々申し上げてきたように、現在進行形で、労働社会や二項対立を敢えて作り出して民衆を支配してきた人達の「新たな罠(ジョーカーゲーム)」が仕掛けられようとしています。

避けられない「ジョーカーゲーム」の道楽的楽しみ方(終戦記念日コラム)

彼らが仕掛ける「ジョーカー・ゲーム」は、なかなか巧妙で見抜くことが難しく、抜け出すことも困難ですが、よくよく観察して、その内容に気付いてしまえば、その手口はいつも「ワンパターン」です。道楽舎は、別に彼らのやることをどうこう言うつもりも、正義感を振りかざして抗うつもりもありません。でも、「知ったら終い」なので、できる限り距離を取って「イチ抜けた~~!」を決め込むつもりです。(笑)

そして、いつの時代もジョーカーゲームに有効な手段は「逆張り」です。

災害の時に生き残る者は、常に大衆と逆の方向に逃げるものです。多くの人が多数決で「正しい」と言っている事が、必ずしも本当に正しいとは限りません。それは、人類の歴史を見れば枚挙に暇がない事実です。こういう時こそ、敢えて大衆(多数決)とは真逆のことをしていくことです。

このままでは、人々はグリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」に導かれて、まんまと海に落ちて溺死させられてしまいますからね… (^^; (童話では、その後130人の子どもたちが笛吹き男に付いていき姿を消してしまった。…とありますが、その時助かったのは、足が不自由、盲目、耳が聞こえない、3人の子供だけだったというお話です…)

物事はすべて「表裏一体」です。ネガティブな出来事や状況を、ただ「悪いもの」として扱うのではなく、それを自分自身の生き方を見直す最大のチャンス、キッカケとして、労働社会も、二項対立も、コロナ騒動も、戦争も、仕掛けられたジョーカーゲームも、むしろそれを「知った上で」楽しめるように、一段も二段も高い視座をもって、悠々と世界の流れを見ていきたいものです。

 

後編のまとめ

私達が置かれている労働社会の罠について、三編にわたって長々と語ってまいりました。皆さんが勤める会社や組織に、面白いことを一緒にできる誰かがいるのなら、ぜひそれを大事にして仕事をしていただきたいと思います。しかし、そういう相手がおらず、「労働社会の罠」にハマっていると感じている方には、決して世界(会社・学校)はそれだけではなく、違う視点や価値観があるということを、このコラムをきっかけに知っていただければ幸いです。

人気漫画である『HUNTER×HUNTER』や『ONE PIECE』なども引用しましたが、つくづく物事は、「何をするかより誰とするか」が極めて大事だと思います。何を為すかも大事ですが、面白い誰かとすることであればこそ、道中を楽しめるものです。その視点を持つだけでも、「労働社会の罠」や「二項対立の罠」からは抜けやすくなるのではないかと思います。(^^)

【道楽舎】としては、

「本音で向き合える仲間と、自分にしかできないことをして『お働き』を為す」

ということをテーマとして、道中を楽しみながら「傍を楽に」していきたいと思っています~!(^^)

 
 
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