Contents
風の時代に道楽舎①「無駄のダムを創ろう!」
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます!
本年も道楽舎をよろしくお願い致します。
さて、2020年12月22日で、「地の時代」から「風の時代」に移行したと世間では言われているようです。
占星術をはじめ、スピリチュアルや都市伝説が好きな方にはお馴染みだと思いますが、「風の時代」とはどういう時代でしょうか?
まずは、「地の時代」と「風の時代」の違いについて、簡単に述べておきます。(深堀したい方はネットで数多く解説が出ていますので、そちらを参考にしてくださいね~)
「地の時代」「風の時代」を比較
「地の時代」とは
「地」や「風」の時代は、平均して200年くらいの周期で切り替わっており、「地の時代」は、産業革命があった1842年頃から始まったと言われています。
「産業革命」に象徴されるように、目に見えるお金や物質、土地、組織や支配というものに価値があったとされています。その偶像として物質的なものを重んじる考えや、土地(不動産)や工業生産手段である大きな工場、そして、お金(資本)など、それらを手にしている人や組織が優位性と市場支配性を持ち、またそれに基づいて常識や既定路線というものが構築された時代でした。
それは、決して悪いものばかりではなく、豊かで便利な物質文明の安定や蓄積を生むものであります。だからこそ、大きな夢を持つことや金銭的に成功するといったことに価値があるとされていました。その性質上、どうしても「結果主義」や「金銭至上主義」になりやすく、道中や過程を無視して、中にはカンニングやドーピングなどのズルをしたり、詐欺的な商法でお金の為なら悪いことをしてしまうこともあったのだと思います。
決して、「地の時代」を悪く言うつもりはありませんが、時代が変化していく中で、次第に生きにくくなって来た人が多いのも確かだと思います。例えば、近年では、LGBTなどが認知され始めてきましたが、「地の時代」では、性別も要素の一つであり、違いを区別することを是とされてきました。
「風の時代」に移ったと言われていますが、「地の時代」を否定するのではなく、「地の時代」を経て、踏まえて乗り越えたからこそ「風の時代」へと至った、とも言えます。
「風の時代」とは
では「風の時代」は? と言うと、「地の時代」に相対するものに価値が出てくるとされています。例えば、目に見える物質的なものに対して、情報や人との繋がり(コミュニティ)、感性(共感)や体験といったものに価値が移っていき、革新や循環、シェア(共有)などは、今までの「どれだけ所有するか」「安定や蓄積(蓄財)を多く持っている」ということに相対するものだと言えます。他にも、組織や成功に対しては、個人、フリーランスや心の喜び(幸福感)といったものが、より重要視される時代になっていくようです。
わかりやすく図にしてみます。
最初からこうしろと言われそうですが(笑)、「地の時代」が「結果重視」なら、「風の時代」は「過程重視」と言えるかもしれません。
ん?過程・・・道中、シェア・・・。Do Luck Share!まさに道楽舎のことではないですか!!?
「道中を楽しむ」ということは、時代がそうだからとかではなく、道楽舎に集う仲間が、それぞれ生きてきて、経験してきたことで大事にした、そう在りたいと思うことを形にして発信しているだけなんですけどね。
つまり・・・、道楽舎は時代に愛されている? なぁーんて(笑)
でも、きっと皆さんもここ数年、「風の時代」への移行に向けて、それぞれに大きな変化をしてきた方が多いのではないでしょうか?
日本における、時代の変化の象徴
元々は占星術の考えになるのですが、具体的には産業革命をきっかけに「地の時代」が始まったそうで、その頃日本は江戸時代。黒船が来航したことで、日本は鎖国を解き、明治へと時代は変わりました。その一番の変化が「価値」です。
江戸時代にいた侍(武士階級)は、明治になったことで、その職と立場を失いました。プライドだけは残り、時代の大きな変化に対応するのは難しかったそうです。
つまり、産業革命に始まった時代の変化は、日本においては「明治維新」となって現れ、時代は否応無く変わっていきました。それによって、それまで価値があり、求められていたものは、不要とされてしまいました。(ただ、武士という地位や職は無くなっても、サムライ魂や文化として、その後も日本人の心には残っています。)
時代の変化というのは、価値を変え、時には善を悪に、悪を善にするほどのものなのかもしれません。時代の変化に対応せず止まっていては、行き場を失った侍のように虚しいものになってしまいます。まぁ、それはそれで、たった一人になっても追求し続けて行くのなら、格好良く、オリジナルの価値を生むのかもしれません。皮肉にも、「風の時代」の個人の価値、オリジナルという形として。
「無駄のダム」を創れ!
以上を前提として(長い!)、道楽舎として「風の時代」に提唱していきたいことがあります。
今回は第1弾として、
「無駄のダム」を創れ!
ということです。
無駄なものとは、なんでしょうか?必要ないもの。役に立たないこと。必要以上に余っているもの、もう使い終わったものなど、色々あると思います。
なのに、なぜ「無駄」を集めてダムにしろなんて、道楽舎は言うのか。馬鹿なの?
はい。莫迦です。大莫迦です(笑)
我々は、大真面目に提唱します。
上記していますが、時代の変化によって、価値は変わります。「昨日の敵は今日の友」と言いますしね。今まで価値があったものは価値を失い、価値を逆転させるものもあるでしょう。つまり、今までは「無駄」と呼ばれる価値のないものであっても、これから価値が出ないとは限りません。
「そんなの、ギャンブルじゃない?」と思われるかもしれませんが、確かにそうかもしれません(笑)。ただ、多様化した現代では、何が価値になるかはわかりません。
無駄のダムを築いた人
「マツコの知らない世界」
「マツコの知らない世界」という番組がありますが、あの番組は、一般的には価値があると思われることをせず、自分が強く惹かれてやり続けた一般人がゲストになってフィーチャーされています。1年間で1000食◯◯を食べる人とか、20年間◯◯を集めている人とか、マニアックで真似できないようなことを続けている人が、番組に価値を見出されて出演し、マツコさんが面白くイジリます。
とても独特でマニアックな変態さんが数多く登場するので、誰もが共感や価値を感じるわけではないと思いますが、少なくとも、誰かにとっては「無駄」なものでも、ずっと続けたことで「無駄のダム」となり、テレビに出演する程の価値にはなった、と言えるのではないでしょうか。
そして、テレビに出演したことで世間に認知され、それまでは、バカにされていたり、浪費だと思われていたことでも、無駄をダムのように貯めたことで、価値として認められたのではないでしょうか。
フラッシュマナカナ
「フラッシュマナカナ」という言葉をご存知でしょうか?双子芸能人の三倉茉奈さんと佳奈さんを、一瞬でどちらかを見分けるという技です(笑)。この特技で、こっちゃんという芸人が、最近話題になり、テレビにも出ています。
何がすごいって、後姿や着ている服、影だけで見分けることもできるんです!流石に、たま~に間違えたりするみたいですが(^^;
(どちらがマナさんかカナさんか?わかりますか??w)
こっちゃんさんはきっとマナカナが大好きで、「どちらがどちらかを見分けたい!」と思ったことで、徹底的にマナカナを見まくったことでしょう。それは、相当な時間と労力をかけたと思います。その結果、本業のお笑いではまだ世に認知されていなくても、『アウトデラックス』という人気番組や、他の番組にも出演することができました。なんなら、三倉茉奈さんが、ツイートまでしているんですよ!
芸人のこっちゃんさんが
"フラッシュマナカナ"というネタを
して下さったそうです。面白いので見てみてー!笑笑
…ちなみに、先月のファンクラブイベントにも来てくださってました笑
(拡散希望とあったので引用させていただきました→Mさん)#女将 #こっちゃん#フラッシュマナカナ https://t.co/etRETrV3e5— 三倉茉奈 (@ma__anan) January 5, 2019
きっと最初は、「『マナカナフラッシュ』で有名になりたい」と思っていなかっただろうし、そのつもりで始めたわけでもないと思います。それが、まさかのテレビ出演や、本人にも辿り着いてしまったわけです。自分の純粋な好奇心や好きだという気持ちによって、こっちゃんは願っていた以上のものを手にしたのだと思います。
これが、道楽の真髄の一つだと言えます。
努力感のない努力によって創る「無駄のダム」
一見、意味も価値もないような無駄であっても、ダムのように貯めれば価値になる。それがやがて決壊し、価値となって溢れ出すのです。
ただ、ダムになるまでの労力や時間というのは、結果重視の「地の時代」の価値観では、おそらく成り立たないのではないでしょうか。それに、「無駄のダム」を築いたからといって、必ずしもうまくいくわけでもありません。大事なのは、「ダムにするまでの道中を楽しむ」ということです。こっちゃんさんも、『マツコの知らない世界』に出演した人たちも、結果的に「無駄のダム」になっただけで、ただ自分が好きだからやりたいから続けていたことが、結果的にダムのように貯まってしまった、ということなんだと思います。
「無駄のダム」とは、道中を楽しまなければ、到達できない境地だということです。
どうすれば「無駄」をダムにできる?
とは言っても、客観的に無駄(だと思われる)なものにエネルギーを注ぐことは、容易ではありません。そして、自分にとっては価値のあるものなので、主観的には「無駄」には思えないこともあるでしょう。
ここが大事なポイントです。
他人にとっては無駄だと思えるものであっても、自分が価値が感じるものであれば、自分にしか価値を生み出せない。むしろ、他人が無駄だと思っているものの中にこそ「輝く宝の原石」が埋もれているんだと思います。
人々が「無駄」だと思うものは、誰も見向きはしません。だからこそ、そこに魅力を感じるのだとしたら、それは裏を返せば、自分にしか出せない価値を生むことができる可能性を秘めているとも言えるのです。
そういう意味では、無駄なものの中に価値を見出すことこそが「才能」であり、その人の「天才性」だと言えるかもしれません。
風の時代に道楽舎
ということで、今回は「風の時代に道楽舎」シリーズの第1弾として、「無駄のダムを創ろう!」というテーマでお届けしてきました。
時代は、刻々と移ろいゆき、変転していきます。川の流れを止められないように、「時代の流れ」というのも、塞き止めることはできません。塞き止めることに労力を使うより、流れを活かした方が、何倍も何十倍も自分の持つエネルギーを実用化できると思います。
道楽舎は、「道楽」をテーマに、どんどん面白いことをやりたいし、どんなことも「せいをおかげに」していきたいと考えております。
「無駄のダム」を創ることを目的とするのではなく、自分の本心が「唆るぜ、これは!」というものに、ひたすらエネルギーを注ぎ、道中を楽しむ。その結果、「ダム」となって自分では思いも寄らないことが起こっていくわけです。
道楽舎としては、人に理解されないような無駄なことに、ついついエネルギーを注いでしまうような、そんな愛すべきバカな人たちと、面白いことを形にしていきたいと思っております。『マツコの知らない世界』のような力も影響力も、まだないかもしれませんが、共に創り上げていく過程を楽しみ、想像もできないような未来をみんなで大爆笑して驚きたい!
そんな風に、これからの「風の時代」を過ごしていきたいと思います。
最近のコメント