スラムダンク × 道楽③ 山王戦から学ぶ「道楽家の生き方」(後半)

スラムダンク × 道楽③ 山王戦から学ぶ「道楽家の生き方」(後半)

 

スラムダンクの魅力を道楽的に語る第3弾。最後の試合「山王工業戦」から見えた「道楽」の後半をお送りいたします!

スラムダンク × 道楽② 山王戦から学ぶ「せいをおかげに」(前半)

 

見習うべき道楽家・河田雅史

いかにして最強のセンターになったのか

高校最強センターの河田雅史。彼が高校に入った時、165センチでした。それから一年で25センチも身長が伸び、身長に合わせて、それぞれのポジションでレギュラーになれるほどの努力をしたのです。最強の山王工業で。そして、三年生になった今、どのポジションもトップレベルでこなせるほどの選手となりました。身長は194センチ、三つのポジションをハイレベルでこなすセンターとして、高校No.1センターとなり、大学でもトップ3に入ると言われるほどになりました。

河田が入学した時、身長が194センチになるなんて、想像していたでしょうか?先のことは分かるはずがありません。だからこそ河田は、最強のセンターになるという未来のためではなく、その時々の最善を尽くしてきたんだと思います。背が低ければ、センターは務まらないので、最初からセンターの練習をするわけがありませんから。

最初はガードとして練習を続けて行きましたが、普通は、頑張って身に付けたものにしがみつくでしょう。手放したら、またゼロから始めなければなりません。

河田は、身長が伸び、ボジションが変わる度にゼロからレギュラーになれるほどの努力しました。そして、最終形態として、ガードもフォワードもできる、最強のセンターになりました。初めから、最強のセンターを目指していたわけではないでしょう。その時々で最大限の努力をした結果が、「最強のセンター」を生み出したわけです。

 

河田に学ぶ、道楽的な働き方

例えば、営業の仕事をしていたら、転職するときに、同じ営業の仕事をしようとしますよね。せっかく身につけた能力を活かして仕事をした方が、良い仕事もできるし収入もアップします。それが至極真っ当な考え方だし、働き方です。しかし、もし営業以外の仕事をしなければならないとしたら?

「スペシャリスト」というのも、一つの生き方だし働き方です。それが最適な人は、不器用に、愚直に極めたら、他の人には出せないほどのことができることと思います。しかし、自分がしてきたことにしがみ付いたり、それしか自分にはできないと思い込んでいる場合は、自らの可能性を自分で消してしまっているようなものです。

河田にとって、身長が伸びたことで、違う役割(働き方)を迫られ、今まで目標にしてきたものを手放さなければなりませんでした。「目標」を持つことは大事ですが、「目標」が目的になってしまい、捉われてしまうと、新たな可能性を見い出すことができなくなります。きっと、河田もポジションを変える際、当然葛藤があり、とても勇気がいったことでしょう。新しいポジションでまたゼロから始めるのは、かなり大変なことです。わざわざ新しいことばかりする必要はありませんが、その必要に迫られた時、過去に捉われるか、新たな未来に進むか。そして、その判断をするのは、分岐点にいる「今」というわけです。

道楽家である我々は、それぞれ色んな仕事をしてきたり、遠回りのようなことをしてきました。近い内、「いかにして道楽家になったか」というテーマで、私たちがどのように生きてきたか、コラムにしてお届けする予定です。

 

未来のためでなく、今を生きること

これはまさに、「イマココ」に生き、道中を楽しむ「道楽」そのものです。結果を求めて努力するのではなく、目の前の今と向き合い、今しかできないことに集中する。その結果、思ってもいないような境地に辿り着いている、というわけです。河田雅史は、道楽家として目指すべきキャラの一人ではないかと思っています。

「結果」を求めることや「目標」は、誰にでもあると思います。そのために努力すれば、確かに目標を達成することができるかもしれません。しかし、河田が「最強のセンター」を目標にしていなかったのに、目標以上となるような、「最強のセンター」になることができる。そのポイントが、「結果・目標に捉われない」ということです。

目標や結果だけを見るのではなく、時として遠回りする方が、大きなものが得られることがあります。「遠回りしたおかげで」と言えるように、結果だけに拘らず、どんな結果になるかを楽しむくらいな感覚で、道草を楽しんでいきたいですね。

 

見習うべき「道楽」

試合に勝つなら、勝つことを忘れること

「結果に捉われない」という観点では、印象的な晴子の言葉があります。

試合の前半、湘北はリードして後半を迎えるほど、善戦していました。「もしかして勝てるんじゃないか?」そう思うのも当然ですが、晴子はそんな友達にこう言います。

「変に意識しちゃだめ!今は無心で挑んでるはずだから」

まぁ、その直後、流川の活躍を見て、「勝てるかも・・・!」と言っちゃう晴子がまた可愛いんですけどね(笑)

晴子の言葉から受け取れることは、「勝ちたいけど勝つことを考えない」という意味です。つまり、「結果に捉われない」ということです。もちろん、勝つ為に試合をしています。しかし、勝ちを意識し過ぎると、逆の意識が強くなるものです。例えば、「絶対負けられない」「ミスできない」「ミスしたらどうしよう」というマイナスの意識が出兼ねません。以前は桜木も、4ファウルになってしまい、「あと一つファウルすると退場してしまう」と、退場を恐れて体が亀のように縮こまってしまったこともありました。

「陵南戦」でも述べましたが、人の呼吸を乱すのは、欲望と恐怖です。桜木のように、「流川より目立ちたい」というような欲望や、「失敗したらどうしよう」という恐怖は、呼吸を乱し、体を緊張させて、足元を掬われます

逆に、自分にできることに集中し、できないものはできないと、プライドを捨てたり肚を括って覚悟を決めれば、ベストパフォーマンスができるというものです。

ちなみに、安西先生が「名将」と言われる所以は、そこにあります。選手が、最大限力を発揮する為に、必要な言葉を最適のタイミングで伝えます。山王戦でも試合前、一人一人に声をかけました。内容は共通して、「選手が優っている部分」ということでした。相手への恐怖を取り払い、乱れた呼吸を整える。それが安西先生がしたことと言えるでしょう。

 

期待も時には辛いだけ

前半とは違い、後半はいきなり24点差をつけられてしまい、一気に苦境に立たされてしまいます。そこで、三っちゃん応援団の一人が、ネガティブな発言をします。

「いくら何でも差が開きすぎだ・・・。相手が格下ならともかくよ、王者・・・」

言い終わる前に、皆にボコボコにされますが、

「期待するとつらくなるだろ・・・」

と正直に言います。彼は、極めて現実的です。王者相手に、24点差をひっくり返すことはまず考えられません。他の応援団も、応援しているとはいえ、本当に逆転を信じていられたかはわかりません。

そのように、結末を意識して、明らかな困難を前に絶望してしまうと、ベストパフォーマンスをするのはほぼ無理です。だからこそ山王は、心を折る為に、後半直後に畳み掛けました。心を折り、勝つ意欲が断たれたら、勝負は終わりですからね。

ベストパフォーマンスを発揮する為には、「勝つ」という望みを手放すことです。それは、諦めるということではなく、結果に捉われないという意味です。絶対にミスをしてはいけない状況よりも、ミスをしても大丈夫、という状況の方が、余裕が生まれて、思い切ったプレーができるものです。そういう時こそ、意外とベストパフォーマンスができるもので。プロ選手のスーパープレーは、必死さよりも余裕を感じるように見えますよね。プレッシャーが強ければ、緊張して体は硬くなるものです。

やはり、失敗できない状況や、プレッシャーの強い場面では、どうしてもパフォーマンスは落ちてしまいますよね。

 

失敗して終わりじゃない

それは、人生においても同じことが言えます。世知辛い世の中にあって、失敗が許されない。そんな窮屈な状態では、生きていくのは大変です。ちょっと炎上するようなことをしてしまったら、SNSで袋叩きにあってしまい、中には自ら命を絶つ人もいます。ヤラカシた芸能人は今までの功績もなかったかのように、風当たりが厳しくなります。それは自業自得として仕方のないことかもしれません。実際、法治国家において、罪を犯せば罰せられることで、過ちを犯さないようにしています。ただ、恐怖によって人をコントロールするという意図も、なくはありません。もっとも、裁かれるべき罪もありますが、人の正義感を煽り、過剰に反応させているような思惑を感じなくもありません。

コロナ騒動でも、自粛警察と呼ばれるような、自粛要請に従わない人やお店を、自主的に取り締まったり、張り紙をしたり、通報したりする人がいました。それはまるで、かつての戦前の日本やナチス統治下のドイツ、どこかの北なんとかという国のようではないでしょうか。中には、謂れのないお店が被害にあい、閉店を余儀なくされることもあります。自粛警察の存在のおかげで、おちおち営業もできないし、たまたまマスクを忘れたものなら「非国民」扱いでどうなることかわかりません。そんな、緊張感がある中で、正常な生活をしていけるわけもないでしょう。

本来、法律や正義というものは、人を守るはずのものではあります。しかし、使い方を間違えたり強制すれば、人の首を締める愚かなことだと、きっと本人たちは気付いていないのでしょう。それを「正義」と呼ぶのか甚だ疑問ですが、それも、追い込まれた現場だからこそ、炙り出されたことなのかもしれませんね。

 

抑圧から解放されて、自由になることが最大のパフォーマンス

ちょっと重い話に逸れましたが(笑)、何が言いたいかというと、過度なプレッシャーや恐怖を煽ることは、安心や余裕を生まないということです。それは、ベストパフォーマンスを生むどころか、抑圧し、苦しめることになるでしょう。

『スラムダンク』に話を戻しますが、山王戦は結果として大大大逆転でした。大差をつけられ、負ける恐怖の中、選手全員が屈辱を味わい、プライドを捨て、役割に徹しました。「勝つ」為に、自分にできることは何でもやる。目の前に全集中してベストパフォーマンスを発揮できました。それでも勝てるとは限りませんが、湘北は見事に勝利しました

適度なプレッシャーは必要だと思いますが、抑圧が強すぎれば潰れてしまいます。今は、様々なところで抑圧が生まれる世の中なので、自分自身で対応していかなければいけません。それこそ、誰かや何かに期待したって、辛いだけなのかもしれません(笑)

コロナに限ったことではありませんが、困難や問題に対しても、勝つとか倒すという視点ではなく、その中で自分がベストパフォーマンスを発揮するにはどうしたらいいかと考えると、違った見え方ができるのではないでしょうか。自分の役割を見出し、できることに全集中する。そうすることで、一番良い結果になるのではないかと思っています。

 

「スラムダンク×道楽」シリーズまとめ

というわけで、名作『slam dunk』の、「陵南戦」と「山王工業戦」から見えた「道楽」について、3回に渡ってお送りしてまいりました。

スラムダンク × 道楽① 陵南戦から学ぶ、屈辱と役割の意味

『slam dunk』の面白さは、今更言うまでもありませんが、「道楽」という視点で改めて観てみたら、面白さの深みを垣間見ました。そして、成功哲学にも通じる物語からは、見習うべき「道楽」がふんだんに盛り込まれており、我々にとっては「道楽哲学」というものを生み出しました。

「道楽」とは、「道中を楽しむ」という考え方であり、生き方です。それはある意味「哲学」であり、明確な答えがあるものではありません。人生の悩みも、困難の乗り越え方も、人それぞれ違います。巷には、「成功」と称して、数え切れないほどの本が出版され、情報商材が販売されています。その全てを否定するつもりはありませんが、中にはガラクタも沢山あるのも事実です(^^;
そういったものの中に、答えになるようなものもあるかもしれません。ただ、答えを出せばいいのではなく、答えを出すまでに、向き合い、考えていくことが大事だと考えています。なぜなら、後々に残るものは、「答え」ではなく、やはりその「道中」だからです中身のない答えは、それこそ「ガラクタ」なのかもしれません。カニを買ったのに、身がスッカスカのようなものです(笑)

『slam dunk』を始め、「名作」と親しまれる面白い作品は、しっかりと身が詰まった最高級に美味しいカニのようなものです。中身の詰まった「身」こそ、人を感動させるものであり、指針となる「道楽」です。道楽舎としては、その中身をしっかりと取り出し、美味しくいただき、栄養にしていきたいと思っております。

今後、不定期ではありますが、「名作×道楽」シリーズをお送りしていく予定です。もし、取り上げて欲しい作品があれば、漫画に限らず、映画やドラマ、アニメなど、コメント頂ければ、道楽的に「身」を取り出すコラムを配信したいと思います(^^)

 

(※画像出典:『slam dunk』/井上雄彦 集英社)

 

 
 

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