『コントが始まる』感動の最終話!人生はコントだ!さようならマクベス

『コントが始まる』感動の最終話!人生はコントだ!さようならマクベス

 

感動の名作が、見事に完結致しました~!!

前回は、第9話で描かれた感動を描きましたが、語り尽くすことができなかった為、最終話の感動も合わせてお送りしてまいります!

『コントが始まる』 「人生はコメディ」を描いた傑作の道楽ドラマ!第9話の隠されたメッセージに号泣

 

最終話 ついに、最後となった解散ライブ

毎話、コントで始まりますが、最終話は「引っ越し」というネタでした。

マクベス解散後、3人で暮らした部屋から引っ越しをすることになります。このコントが、3人の引っ越しにどう関わるのか。そして、マクベスの3人が、どのような道を進んでいくのか。印象的なシーンも含めて、魅力をお届けしたいと思います。

 

努力が報われた中浜さん

会社勤めで苦しみ精神を病んだ中浜さんは、しばらく廃人になった後、ファミレスのオープンスタッフとして働き始めました。そこで、マクベスとも出会い、人生の岐路にもなった出来事がありました。

中浜さんにとって、人生で一番輝いていた時は、高校時代、華道部の部長だった時でした。インターハイ全国3位にもなるなど、その時は必死で頑張り、光り輝く思い出でした。しかし、そんな思い出があっても、その後の人生で何か役に立つこともなく、「努力は報われる」という実感も持っていませんでした。

10年間マクベスとして頑張り続けてきた春斗も、努力は報われるのか?と悩んでいました。「努力が報われる」と言える人は成功してる人なのかもしれません。中浜さんも、「努力が報われるとは限らない」と答えたことで、成功してないと思われたのですが、「それでも意味はあったと言えるんじゃないかと思います」と続けます。

そんな中浜さんにとって、過去の努力が報われる瞬間がありました。ファミレスに訪れた女性に、花の名前を聞かれたことが、努力が報われた瞬間だったそうです。

中浜さんは花を生けるのが好きで、生けた花に気付いてくれて、興味を持ってくれる人がいる。それだけで、華道部で頑張ってきてよかったと思えたそうです。

その女性が、瞬太のバイト先の店長の双子で還暦独身の妹だったことが発覚しました。

そこで、中浜さんは、「自分の過去を前向きに考えられるようになった」とお礼を伝えるのですが、人生が変わるきっかけというのは、とても些細なことで、どこに転がっているかわからないことを実感します。中浜さんは、一時的に既定路線を外れましたが、だからこそ、過去を前向きに考えられるようになり、マクベスとも出会い、新たな人生を進むことができるようになりました。まさに、「せいをおかげに」することができたということですね。意外な身近な出会いから、努力が報われたと思えた中浜さんは、とても素敵ですね。

何気ないことで人生は変わる。それを幾つ発見できるかということが、人生を豊かにしてくれることなのかもしれませんね。

 

マクベスの10年

マクベスは10年活動してきたが、その努力が報われることはなく、芸人としては成功できなかった。

それでも、潤平は、彼女と10年間愛を育み、

孤独を抱えながら生きてきた瞬太は、愛情深い彼女を見つけることができた。

そして、春斗は・・・。

「俺にとってのマクベスとは何だったのか」

マクベスとして活動したことで、何を成したのか。何を得たのか。

未だ、答えは出ずにいた。

 

成功できなくても、愛されたマクベス

そんなマクベスに対して、マクベスが引っ越した後、ぽっかりと空いた部屋には、また夢を抱くトリオ芸人が内見にきていた。

前も芸人が住んでいたことで、「出世部屋っすか?」と尋ねると、不動産屋さんは、

「売れてはないけど、愛されてましたよ」

と答える。

春斗にその声は届くことはありませんが、それが、マクベスという存在の全てでしょう。

それは、マクベスに限ったことではなく、たとえ売れていなくても、何かを続けていれば、見てくれている人はいるものです。人数が少なくても、たった一人でも、見てくれる人はいて、愛してくれる存在はいる。そういう存在に気付くことこそが、努力が報われる時だったり、幸せなことなんだと思います。

 

成功の儚さ

売れたいし、成功したい。芸人であれば、誰もが売れたいだろうし、誰しもそう思うでしょう。その上で愛されていれば、それに越したことはないと思います。ただ、今の時代、売れて有名になったとしても、何か問題があれば、簡単にその地位や栄光を失うこともあります。

ここ数年、多くの有名人が、スキャンダルで表舞台から姿を消しました。ヤラカシ本人が悪いのは当然ですが、必要以上にバッシングされて、引きずり降ろされたようにも見えます。おそらく、批判や否定する人よりも、多くの努力をしてきたり、多く納税もしたり、感動を与えているはずなのに。築いたものがどれだけ大きくても、それに見合わないほど小さい過ちで、築き上げたものを失ってしまう。それでは余りにも切なく虚しいですよね。

「人の夢」と書いて「儚(はかな)い」となりますが、人が夢を見ることは、「儚い」ことなのかもしれません。つまり、成功を望んだとしても、それはほんの一瞬の儚いものなのかもしれません。そして成功したからと言って、必ずしも「幸福」になれるとは限りません。実は、成功と幸福は別物なのです。

日本の社会にありがちな「一度も間違ってはいけない」という謎の風潮。そういうことを求められる世の中において、果たして成功することにどれだけ意味があるのでしょうか。成功したからこそ、たった一度の過ちで足元を掬われる。だからこそ、「成功」そのものを目的にするのではなく、あくまで結果論として受け入れ、道中(それに没頭している瞬間)を楽しむことを目的にすることが、一番の「幸福」を得られる道なのだろうと思います。

それは、春斗と中浜さんの会話にも出ています。

 

中浜さんと春斗の会話

発信したからこそ起こる反応

春斗が中浜さんが勤めるファミレスに行くと、偶然バイト最後の日。思いがけない来店に喜ぶ可愛すぎる中浜さん。

マクベスではなくなった春斗は、ついに「メロンソーダ」を頼むことに。
(メロンソーダは、コント「町の水道屋さん」に出てきました。中浜さんと初めて会った時、渡したミネラルウォーターが翌日メロンソーダになっていたことがきっかけです。そのカラクリは、中浜さんはお菓子メーカーに勤めていて、水に溶かすメロンソーダの素を持っていたことでしたw)

中浜さんは、バイトが終わるとそそくさと出て行ってしまう。それは、二人きりになる為、いつもの公園で春斗を待っていたからだった。

そこで中浜さんは、マクベスへの思いを伝える。「マクベスが解散しても、ずっとファンであり続けます」と。

春斗は、他にも面白い芸人は沢山いますよ、と謙遜するが、「今後、どんなに面白い方達が現れても、私にとって、マクベスは特別なんです」と伝える。それは、自分が一番辛かった時期を支えてくれたこと。笑ったり喧嘩したり、苦労していることも知っているから。

つまり、「背景を知る」ことで、中浜さんにとって、「面白さ」という価値だけでなく、特別な存在となって、唯一無二の価値になったということです。

「マクベスに出会えて、本当に良かったです…」

中浜さんの言葉に春斗は、こう返します。

「昔は、満員の観客の前でライブしたいと思ってたけど、それだけじゃないって気付かせてくれたのは、里穂子先輩です」

「100人に見てもらえたら、そりゃ嬉しいですけど、1人が100回見てくれることも同じくらい嬉しいことで、もしかしたらそれ以上にありがたいことで・・・。1人の人が、ちゃんと見てくれてるとわかっただけで、俺たちみたいな人間は、頑張れるんですよ。
やってきた努力が、無駄じゃなかったんだなって、思えるんですよ。だから、感謝してます…」

「マクベスに気付いてくれて、ありがとうございます」

春斗は、中浜さんのおかげで、自分にとっての「マクベスとは何か」の答えを見つけることができました。そして、中浜さんも、マクベスのおかげで立ち直って生きていくことができた。これは、お互いが発信し、反応しあった結果、お互いが特別な存在になったのだろうと思います。

 

努力は報われる? …答えは道中にある!

そして、春斗の言葉にもありましたが、100人に見てもらうよりも、100回見てくれる1人がいるということの方が価値がある、というのは、今の時代にとても合った価値観ではないでしょうか。売れることは大事なことですが、今の時代、売れたとしてもちょっとのことで足元を掬われることがあります。成功を手に入れたとしても、手にした事でより大きなものを失うということもあるということです。つまり成功には「代償」が伴うのです。

もちろん、成功を目指すことを否定するつもりはありませんが、成功だけが大事なことではない、ということが、このやり取りから伝わってきます。そして、努力というのも、自分が思ったようには報われないかもしれない。でも、成功という「結果」ではなく「道中」と向き合えばこそ、本当に報われる何かが、見つかるというものです。

「あの経験や努力があったから今がある」と思えたなら、それが「せいをおかげに」したと言えるでしょう。

 

「人生はコントだ」

三ヶ月後、それぞれの道を歩き出します。
唯一何をするか決まっていなかった春斗が選んだ道は・・・

「街の水道屋さん」でした。それは、『コントが始まる』最初のコントであり、中浜さんと出会あったことで生まれたものでした。

きっかけは、マクベスじゃんけんで勝ち取った冷蔵庫に貼られていたマグネット。春斗は、コントとして演じていた水道屋を、リアルにしたというわけです。

春斗は、コントとして色んな仕事やキャラを演じました。もちろんコントなので、それが仕事としては成り立りませんが、コントであれば、どんなことも経験することができます。道は一つではないし、人生はコントのようなものだと思えば、あれこれ悩んでいたとしても心が軽くなるのではないでしょうか

時には、歯を食いしばって頑張ることもあると思います。慣れないことや合わないことをすることもあると思います。ただ、中浜さんのように先入観や常識に捉われて、大きな傷を負ったり、苦しみ続けてしまうのはもったいないと思うのです。

大事なことは、成功することそのものではなく、自分らしく在れる場所で活躍できること、なのではないでしょうか。

かの哲学者アリストテレスは言いました…

「自分の居場所と没頭できる何かがあれば、人は簡単に幸福になれる」…と。

マクベス解散の3ヶ月後、新たな道を歩き出した5人は、皆笑顔で生き生きとしていました。夢や成功に向かって今を我慢して生きるのではなく、たとえ夢が叶わなくても、確かな「今」を味わい、楽しんで生きられることこそが、一番の幸せなのではないでしょうか。

 

第9話で描かれた「夢」について

最終話でも、夢や成功について触れてきました。それは「儚い」ものでもあると。これは、第9話にも通じるテーマでもあり、前回語れなかったことにも通じるので、述べてまいります。

 

夢が叶わない現実でどう生きるか?

真壁先生にBBQに招待された春斗と瞬太。そこで、真壁先生の息子である太一に聞かれます。

「夢って、追いかけない方がいいの?」

その質問に二人は、「負けてない。時間切れ」「負けることは失敗じゃない」と答えましたが、これは結構大事なテーマではないでしょうか?

実際、世間では夢を持つことは素晴らしいこととされ、小さい子供が大きな夢を語ったら、大人たちは「すごーい!君なら絶対叶えられるよぉ~!」などと褒め称えます。これについては、また別のコラムで掘り下げたいと思っていますが、夢を持つことは良いことだとされていますよね。

しかし、実際に夢を叶えられる人はわずか一握りで、その他多くの人が夢を諦めたり、叶えられないのではないでしょうか。多くのドラマで、成功して夢が叶う、それこそ「夢」のような話を描いていますが、『コントが始まる』はむしろ、夢を諦める悲哀や、夢が叶わない現実の中でどうやって生きていくかを描いています。マクベスのようになりたいとか、憧れは抱かないかもしれませんが、私自身、マクベスがとても好きになったし、マクベスが解散しても、この三人を応援したいと思えてしまいます。

夢を叶えて、勝負に勝ち続けて、輝き続ける人もいます。それは確かにすごいことで、とても真似できるものではありません。ただ、マクベスのように、人知れず夢半ばでその道を諦めてしまう人の方が圧倒的に多いはずです。その人たちにも、もちろん物語や背景はあり、売れてしまえばそれも美談になりますが、ほとんどは埋もれて終わってしまいます。

 

夢が叶わない現実でどう生きるかを描いた『コントが始まる』

そこにスポットを当てたのが『コントが始まる』という物語で、憧れや幻想のファンタジーではなく、極めて現実的なドラマです。芸人という特殊な世界ではありますが、彼らが味わっている苦悩は、どこにでもあるような、誰にでも当てはまるようなものです。形は違えど、夢を追いかけたりやりたいことを探したり、それが叶わないから、生活する為に一般社会という名の既定路線に取り込まれて悩んでいる人は数多くいるのではないでしょうか。

きっと多くの方が、やりたいことや夢を持ちながらも、現実に流されて、挑戦することも中々できないのではないでしょうか? 子供の頃には夢を語ることがあんなに奨励されたのに、いざ大人になれば、夢を語ることで嘲笑されることもあるし、否定する人もいます。何より、生活するだけで精一杯で、夢を追うだけの熱量、時間、余裕がない、というのが本当の所なのかもしれません。

『コントが始まる』は、そういうリアルな部分を描いているし、叶わない夢だとしても、その道中で起こるドラマを描いています。だからこそ、多くの人の共感を呼び、胸を打つのだと思います。

 

夢は追わない方がいいのか?

瞬太のセリフで、「どれだけ良い人間関係を築けるかが、人生の勝敗を決める」とありました。周りからは、マクベスが負けたように見えても、勝敗を決めるのは本人たちです。そして「何を持って勝敗を決めたか」ということが、一番大事だと思います。大事なものを失ってまでも勝つことが成功なのか。負けたとしても、大事なものを得たのに、負けたから失敗なのか…

「試合に負けて勝負で勝つ」という言葉がありますが、例えば、サッカーの試合で「12」で負けたとします。試合は負けても、大活躍を見せたことで有名になり、代表に呼ばれたりビッグクラブに移籍することがあります。便宜上、試合の勝ち負けを決めなければならないから、勝った負けたがあるわけですが、本当の勝負は試合の勝ち負けではなく、試合を通して、どれだけのものを残せたか、ということではないでしょうか。つまりは「道中」にこそ、一番大事なものがあるということです。

 

本当に大事なものは、道中にこそある

HUNTER×HUNTERに見る【道楽】

HUNTER×HUNTERのジン=フリークスの言葉にもあります。

「道草を楽しめ、大いにな。ほしいものより大切なものが、きっとそっちにころがってる」

このセリフは、【道楽舎】の理念でもある【道楽】そのものです。試合の勝ち負けは、あくまで「結果」でしかなく、大事なのは、その道中で何を得たか、ではないでしょうか。もちろん、「負けられない戦い」もそこにはあります。負けたら終わり、ということもあります。でも、勝っても終わりということもあります。

 

MAXの高校時代にみる【道楽】

私MAXは、高校の時にサッカーをしていましたが、最後の大会というのは、負けたら引退です。でも、勝ち続けて優勝しても引退します。その時に私が思っていたことは、一試合でも多く、この仲間とサッカーを続けたい、ということでした。県大会の準決勝まで勝ち進み、全国まであと二歩というところでしたが、負けた時は悔しくて号泣しました。もし、全国に出場したとしても、負けたらその時は号泣したでしょう。流石に全国優勝はできないでしょうけど、後々に残るものは、県大会3位という記録よりも、仲間とサッカーを続けた思い出と、今でも残る絆です。初戦敗退していたとしても、この関係は変わらないでしょう。

全国出場という「欲しい」が手に入らなくても、仲間との絆という「大事なもの」を手に入れられました試合に負けましたが、失敗ではなく、大成功でした。負けたから大成功だったのです。場合によっては、下手に運良く全国大会に出場してしまい、歴史的大敗なんてしてしまった日には、手にしたはずの大事なものを手放してしまうほどのトラウマになってしまうかもしれません
(あだち充作の『H2』で、そういうことが描かれてましたね。甲子園での歴史的大敗がトラウマになり、野球に復讐していた、というような)
全国大会に出場することは、一見運が良く、努力が報われたと思えますが、本当にそうなのかは、蓋を開けなければわかりません

後になって振り返らなければ、本当に運が良かったのか、努力が報われたのかはわかりません。だからこそ、「せいをおかげに」してしまえば、後からいくらでも、負けも成功にすることができるということです。

 

夢を追わなければ、勝ちも負けも得られない

夢を追いかけた方がいいかどうか。一つ言えることは、「夢を追いかけなければ、勝ちも負けもない」ということです。夢を持つこと自体は、正直意味はないでしょう。逆に、大きな夢を持つことで、褒められて満足してしまい何もしない、なんてこともあったりします。

マクベスは、芸人として成功はできなかったかもしれませんが、ファンになってくれた中浜さんを救い、大事な人間関係を築きました。それは、夢を追い続けたからできたことであり、得られたものです。

マクベスとして夢を追わなければ、中浜さんは仕事で苦しんだまま、もしかしたら命を絶っていたかもしれません。真壁先生とも、卒業後は会うこともなかったかもしれません。春斗のマルチにハマった兄は、引きこもり続けていたかもしれません。潤平も、奈津美とはすぐに別れてしまい、親友も失っていたかもしれません。そして、27歳で死ぬと言っていた瞬太は、その言葉通り死んでいたかもしれません。

もちろん、どうなっていたかはわかりませんし、これも一つの「タラレバ」です。考えるだけ無駄ですが、少なくとも、夢を追わなければ得られないことはあります。たとえ夢が叶わなくても、「夢を追う」ということは、「道を進む」ということです。道を進まなければ、何も得ることはできません。もし、目的地にたどり着けなくても、道草を楽しめば、思いもしない違ったゴールに辿りつくこともあります。もしかしたらそのゴールは、「夢」だと思っていたゴールよりも、もっと良い「幸せ」なゴールかもしれません。

このドラマを観ていると、つくづく思います。人生は、成功する為にあるのではないと。夢を叶えるだけが全てではないし、夢が叶わなくたって、本当に大切なものを手に入れさえすれば、失敗でもなんでもない夢が叶わないことを恐れるのではなく、たとえ夢が叶わなくても、夢を追いかけて進みさえすれば、欲しいよりも大切なものが手に入る、ということを認識しておくことが大事なのかもしれません。

 

コントが始まる

『コントが始まる』という作品は、稀代の名作だと思っています。毎話、深いテーマが描かれていましたが、前回とこのコラムに、私の思いを込めました。

人それぞれ、考え方や生き方はあるし、夢や理想もあると思います。だからこそ、【道楽舎】も勝手に発信したいと思います。

人生はコメディだ。さぁ、コントを始めよう。

『コントが始まる』という作品は、間違いなく人生の指針の一つになり得る作品であり、【道楽舎】も、自由に道中を楽しんで生きる【道楽】というものを、今後も発信していきたいと思います。

 

ABOUTこの記事をかいた人

道中を楽しむ道楽家として人生を謳歌し、自分にしか出せない価値を生み出す! そのためのきっかけ・環境をつくるのが`道楽舎` 思うがまま自由に、本当の自分で生きていく。 道中に転がる大切なものを見つけ、欲しいものも手に入れよう!