今回のコラムは、MAXがお送りいたします!
カリスマも今は昔
ふた昔前には、カリスマ美容師やカリスマ店員という「カリスマ◯◯」と呼ばれる存在がいました。若い方ではもう知らなかったり、最近ではカリスマと呼ばれることはほとんどなく、そのなりを潜めました。もはや死語とも言えるかもしれません。
ただ、言われなくなっても、カリスマになるような存在は変わらずいるもので、今風に言うなれば「インフルエンサー」と言えるでしょうね。
昔と違い、今はネットが普及し、コミュニティは無数にあり、言わばスーパーカリスマという存在はほとんどおらず、プチカリスマというような存在が、そのコミュニティ主催しているでしょう。
今流行りのオンラインサロン
ホリエモンやキンコン西野、オリラジ中田、落合陽一さんや箕輪康介さん、Youtubeでも有名な鴨頭嘉人氏など、メディアでも有名な方のサロンが特に人気が高いと言えます。この面々を見ても、カリスマ性のある人がオンラインサロンを主宰していますよね。
そもそも「カリスマ」とは「民衆を引きつけ心酔させる力」という意味だそうです。カリスマ性がある人には、何か人を惹きつけるものがあり、他の人にはない能力があったりします。
その魅力というのは、独自の視点や考えを持ち、それを力強く発信できることであり、メディアでも有名であることで、価値は上乗せします。確かに、カリスマ性のあるオンラインサロン主宰者には、オリジナリティの高い人が多いと言えます。しかし、面白いもので、そこに集まる人の多くは、そのサロンの色に染まる、オリジナリティの薄い人だと言わざるを得ません。中には、主宰者の名を借りて、「オレ、◯◯さんのサロンに入ってるんだよね~!」などと、「虎の威を借る狐」のように、ネームバリューを利用している人もいるかもしれません。
そういう目的の人も一定数いるかもしれませんが、良く言えば、自分の色を強める為だとも言えるでしょう。少なくとも、人間は社会性のある生き物なので、何らかのコミュニティに関わるものなので、だったら自分に合ったコミュニティを選ぶことはとても大事なことでしょう。
でも、そこで気をつけたいのは、カリスマやアイドルは所謂「偶像」ともいえます。その存在を尊敬して憧れているのは別に悪いことではありませんが、それが行き過ぎて、その存在を教祖として「崇拝」するまでになってしまうと、道楽家としてはちょっと危険です。
すべての人がそうとは言いませんが、世の中には宗教やMLMだけでなく、有名人や芸能人を使ったある種の「教祖ビジネス」「カリスマビジネス」が至るところで暗躍しています。当然、参加するのは個人の自由ですからそれは別に良いのですが、仮に参加するにしても、しっかりと自分軸を持っていないと、知らず知らず洗脳されて取り込まれてしまい、法外な金額をお布施させられたり、いつの間にかその人達の「養分」になってしまうこともあります。
もちろん資本主義経済の社会ですから、何かを得るにはそれ相応のお金を支払うことは当然あって良いと思います。ただ、それが一般的に「法外な値段」になっていないかを常に検証する必要はあります。極端な例ですが、悪質なスピルチュアル系のサロンになると、【除霊一体11万円】【パワーストーン(ただの石)が数十万】などという、笑い話にもならないことを平気でおこなっている所もあります。
尊敬(リスペクト)はしても崇拝はしない。
道楽舎にカリスマはいりません。自分自身を含め、それぞれが唯一無二の存在としてリスペクトし合うのが結果的に長く良い関係を続けていく秘訣だと思っているからです。
カリスマの行く末の一例
かのヒトラーも、いち画家から、世界を巻き込む稀代の政治家になったのも、演説におけるカリスマ性があったからでしょう。そのカリスマ性を見抜いていたのがゲッベルスという存在です。「ナチス」とは、ヒトラーを公の顔として、ゲッベルスが黒幕であったと言えます。(もっと深い奥の存在が居たとも言われますが、それはここでは秘密です…笑)
ナチスは、第一次世界大戦の敗戦で傾いた国を立て直しました。ナチスがなければ、第二次世界大戦がどうなっていたかはわかりませんが、ドイツという国は死に絶えていたかもしれません。そうなれば、スポーツにおいて、トップクラスに強いドイツのジャーマン魂はなかったかもしれません。
また、ナチスとユダヤという人種問題や、悲劇もなかったかもしれません。これはナイーブなものなので深く言及しませんが、そうなると、『進撃の巨人』という素晴らしい作品も生まれなかったかもしれません。『進撃の巨人』では、実はその奥に人種差別など人類の闇歴史の連鎖がテーマとして描かれており、重要な要素だからです。
こういった悲劇が起こることを良しとはしませんが、そういった悲劇を糧に、『進撃の巨人』のような名作が生まれたというのもまた事実です。人間の持つ光と闇、どちらかだけを見るのではなく、その両方を見て受け止め、価値を見出すのが、「道楽家」です。
道楽舎というコミュニティ
かく言う「道楽舎」も、一つのコミュニティなんですよ。まだコアなメンバーは3人ですが(笑)
道楽舎のテーマは「道中を楽しむ」というものです。
人は誰しも、幸せになりたい、成功したい、お金持ちになりたい、と思うものです。それは私たちも同じです。しかし、実際には、幸せになることや成功すること、お金持ちになることは、簡単なことではないし、手に入れることなく人生を終える方もいるかもしれません。
だからこそ、手っ取り早く金持ちになりたい、成功したい、幸せになりたいと思ってしまうのも仕方ありません。そして、それが全てだと思ってしまうのも仕方ないのかもしれません。
しかーし!
そんな生き方に違和感を覚え、自分を誤魔化すことができなくなった私たちは、自分に「世界はそういうものだ」と言い聞かせたり、嘘をついて生きることをやめ、「道楽家」となりました。
幸せも成功も、誰かが決めたものに従うのではなく、決めるのは自分自身です。オンラインサロンも、そういった価値観を独自に打ち出したコミュニティです。ただ、共通しているのは、結局は誰かが提示した「幸せ」や「成功」の為に参加すると言えます。
道楽舎の目指すコミュニティ
「道楽舎」も、「道楽(道中を楽しむ)」という価値観を示していますが、そこに共感できない人は、やっぱり参加することはないでしょう。そして、これだけは言っておかなくてはなりませんが、道楽舎は、参加者を幸せにすることも成功を保証することもありません。なぜなら、人は人を幸せにすることも、成功させることもできません。幸せも成功も、自分の力で得ないと本物ではないからです。
ただ、私たちに言えることは、
「厳しい人生を面白いものにして、心から楽しむ」
ということは保証します。そして、道中を楽しんだ結果として、幸せも成功も手に入れている、というものになるということを、私自身小さいながらも味わっているし、これからそれを皆さんと大きくしていきたいと思います。
私たちは、私たちのカリスマ性で人を集めたいとは思いません。カリスマ性に頼ってコミュニティを運営する危険性を知っているからです。むしろ「カリスマ」を名乗ったら終わりです。例えば、ホリエモンというカリスマの元に集まるのではなく、一緒に道中を楽しんでいきたい、という上下関係でないのが「道楽舎」です。トップダウン式に情報を押し付けたり伝えるのではなく、「Do Luck Share!」という「幸運を共有しよう!」という道楽舎の英語名にもあるように、面白さも楽しさも皆さんと共有していきたいと思っています。
私たちが一方的に与えるだけではなく、皆さんの価値を出して、私たちと共有していただきたい(笑)、その価値をシェアして、もっと面白く、もっと大きくしていきたいと思います。そして、それは一般的には価値がないものでも構いません。むしろその方がいいです。ただ、どこにあるものでもない、他人に理解されようなものでも、自分には価値がある、というものがいいですね。
出来上がった完成品よりも、磨けば光る原石の方が、私たちには価値を感じます。自分一人だけでその原石を磨くのではなく、一緒に切磋琢磨して磨いていきたい、というのが、私たちの思いです。
道楽舎メンバーは、皆変態揃いなので(笑)、安心して癖(へき)を出してくれて構いません。私たちも存分に出していくので…!(笑)
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