『コントが始まる』 「人生はコメディ」を描いた傑作の道楽ドラマ!第9話の隠されたメッセージに号泣

コントが始まる 「人生はコメディ」を描いた傑作の道楽ドラマ!第9話の隠されたメッセージに号泣

 

ついに、今週が最終話となる『コントが始まる』

菅田将暉、神木隆之介、中野太賀の人気若手俳優が売れないお笑いトリオ「マクベス」を演じ、マクベスの熱烈ファン有村架純とその妹を古川琴音が演じています。

物語の面白さに、高い演技力が合わさることで、毎回、泣いたり泣きそうになったりと、個人的には『ドラゴン桜』『リコカツ』を抑えて、今期No.1だと思っています。特にキャスティングが見事で、有村架純さんは、一番のハマり役ではないかと思っています。『SPEC』の時の雅ちゃんも最高でしたが、さらに好きになっちゃいましたね。

妹の古川琴音さんとマクベスの3人も含めて、もう他の人では考えられないくらいです。面白い作品というのは、脚本やキャスティングも大事ですが、やはり、演技力というものが大きいですね。

今回のコラムは、ネタバレ有りでお送りするので、まだ9話を観ていない方は、回れ右をして、9話を観てから戻ってきてください(笑)
TVerなどやGYAOで無料配信中なので、最終回までお早めにっ!

 

『コントが始まる』が描くコメディ

「人生はコメディ」

【道楽舎】では、「人生はコメディ」と捉えており、メンバーの喜多漠路は現在、自らを実験体として、既定路線で辛酸と屈辱を舐め尽くしているところです(笑)。

前回の『逃げ恥SPのコラムでも触れていますが、その時々では、辛く苦しいことでも、しっかりと向き合って乗り越えてしまった後から見れば、笑って話せることだったりします。

祝!逃げ恥婚!! 時代は「道楽」を求めている by 逃げ恥


同じように、ありえないような不幸なことも、乗り越えて捉われずにいれば、後々ネタになって笑い話、つまりは「コメディ」になるわけです。

喜多の経験も、この悲劇がいずれ喜劇として多くの人の心に届き、笑わせ、同じような苦しみも喜劇に変えて、何より自分自身が道中を楽しみ、人生を謳歌していけるようになればと思っています。

 

コントが始まる ストーリー

『コントが始まる』は、夢を追って苦労する若手芸人が、10年という区切りの年に、解散するかどうかに悩みむ物語です。そして、解散が決まった後は、どのような道を進んでいくか、今まで歩んできた道はどうだったのかを悩みます。

各話、冒頭に始まるコントに絡ませて物語が展開していきます。

1話に1本のコントが披露され、本作は全10話。最終話は、「マクベス」の解散ライブが行われ、10本目のネタが披露されると思いますが、『コントが始まる』はまさに「コント」中心で描かれ、「人生はコメディ」と呼ぶに相応しいドラマだと言えます。

 

兄のヤラカシを元にしたコント

兄弟愛を描いた「奇跡の水」

特に、第3話の菅田将暉演じる春斗の兄がマルチ商法にハマってしまった過去を元にしたコントは、「人生はコメディ」そのものです。マルチにハマってしまい、「奇跡の水」を誰彼問わず押し売りしていたことで、家族と仕事を失い塞ぎ込んでしまった兄。そんな「悲劇」をネタにしたこのコントはおそらく、兄を笑わせる為だけに作ったのでしょう。マクベスの解散とこのコントをきっかけに、引きこもっていた兄は扉を開け、数年ぶりに湯船に浸かり、また歩き出すことになりました。


そんな、兄の為に作られたコントが、ファンである中浜さん(有村架純)と妹のつむぎにも響きます。

ちょっとしたことで姉妹喧嘩をしていた時、妹にとっては、このコントを見る姉が、「私を放っておいたら、このコントの兄みたいになっちゃうぞ」と無言の圧力をかけているように見えていました。

しかし、姉がこのコントを好きな理由は、「どうしようもない兄を、見捨てることなく健気に向き合っている弟が可愛い」というもの。つまり、妹が感じていたニヤニヤは、無言の圧力などではなく、自分のことを見放さないでいてくれる妹への感謝を表現していたものでした。

そんな姉の思いに気づいたつむぎは、気まずい空気を破り、素直に寄り添うことができました。

 

コントによって、悲劇は喜劇に変わる

兄の悲劇がコントによって喜劇となり、当の本人である兄と、とある姉妹の助けとなり、私たちには感動を与えてくれました。

「正論を振りかざす」という言葉がありますが、「正論」であっても、真面目なことを真面目に言うから、人を傷つけるし、衝突することもあり、争いにもなります。しかし、「間違い」であっても笑い話にできれば、人を笑わせ、助けにもなり、平和をもたらすことができるのです。

「悲劇」に捉われ、憎しみや復讐で生きるのか。向き合って乗り越え、悲劇を「喜劇」に変えて、笑い話にして生きるのか。

【道楽家】としては、うまくいくことはもちろん、うまくいかないことであっても、うまくいかないことを楽しみながら、挫折や屈辱も、笑い話に変えて、人を楽しませたり、笑わせたりしていきたいと思っております。

 

感動の第9話は「神回」

「間違いが正解?」

さて、今回の本題ですが、最終回直前である第9話。このドラマは、【道楽】を描いていますが、特に第9話に関しては、【道楽舎】が提唱していてスタンプにもなっている「間違いが正解」ということを描いていました。

9話では、「マクベス」の名前の元となった真壁先生からBBQに招待され、春斗(菅田)と瞬太(神木)は真壁家にいきます。そこには、出産に立ち会った時の子供、太一がいました。

そこで、太一は二人に尋ねます。


「夢って、追いかけない方がいいの?」

その真意は、マクベスとして夢を追いかけたはずなのに、うまくいかなかったから解散してしまう。どうせ失敗(敗北)するのに、夢を追いかけていいものなのか、というものです。

春斗はこう答えます。


「俺たち失敗なんかしてないよ。時間切れだよ」

太一は次にこういう質問をします。

「でも、ずっと続けてる人だっているよね」

ずっと活躍し続けている人は、確かに勝ち続けている化物なのかも知れません。ただ、瞬太の考えは少し違います。


「負けたからって、失敗したってことじゃないと思う」

解散と向き合い、マクベスとして活動してきた10年の答えのようなものを感じますが、小学生の太一は、

「なんか難しいね。負けても、失敗じゃないって」

と、二人の言葉はまだ理解されませんでした。

難しい話というよりも、「負け=失敗」という考え方や価値観になっているんだなぁと実感します。一般的には「負け=失敗」なのかも知れませんが、【道楽舎】で掲げている「せいをおかげに」という考え方には、一つの負けも失敗もありません。なぜなら、負けたおかげで勝つことができたなら、その負けは勝つために必要だったものなわけです。だったら、負けも間違えたことも、失敗ではなく「正解」ということです。まぁ、負けた後に勝てなければ、負け犬の遠吠えに聞こえるかも知れませんが、「せいをおかげに」することができれば、胸を張って、自信を持って「間違いが正解」だと言えるはずです。散々失敗してきた私たちだから、間違い無いです(笑)

 

人生の勝ち負けとは?

そんな話をしていると、真壁先生が「太一、行くぞー」と、渋る太一をどこかに連れ出します。

「一、二時間で戻ってくるから」と言い残し、残った二人は話し合います。


「そうかぁ。俺たちは負けたのかぁ」

瞬太の言葉に、そう反応する春斗。でも、瞬太は負けたとは思っていません。

「俺は勝ったと思ってるよ。今日だって、先生にBBQに呼んでもらって美味しい肉を食べられた。それは、俺たちのことを考えてくれて、呼んでくれたら。そういう関係をいくつ築けたかっていうのが、人生の勝敗を決めるってことだから」

瞬太の言葉は、【道楽】だなぁと感じます。

「勝ち負け」という結果で判断するのではなく、道中でどれだけのものを得られたのか。瞬太は、そういう見方ができるようです。マクベスの3人の中では、瞬太が一番【道楽家】らしいタイプなので、それも納得できます。つよがりではない素直な言葉は、すっと心に入ってきます。さすがは神木くんですね。

 

第9話に隠された、恩師の感動のメッセージ

やっと今回の本題に入ります(笑)

春斗と瞬太が二人で話し込んでいると、太一がブーたれて帰ってきました。

「父さん最悪なんだけどぉ!今日、絶対歯医者行けって言うから行ったのに、休みだったんだよ」

このシーンが、今回の重要なテーマであり、感動したポイントです。そして、コラムにしようと思ったきっかけとなった、真壁先生の隠れたメッセージです。

この9話を見終わった後、隠されたメッセージに気付いた私は号泣してしまいました。

どんなメッセージかって?(笑)

それを言う前に、述べておく必要があります。

 

コント「結婚の挨拶」

9話のテーマとなったコントは、「結婚の挨拶」です。厳格な父(潤平)に、チャラい男(瞬太)が、結婚の許可をもらいに挨拶に行きます。それを、春斗が実況して勝敗を決める、というコントでした。


オチとしては、72時間ぶっ続けで、瞬太は説得し続けますが、潤平は認めない。諦めて帰ろうとした時、ずっと貧乏ゆすりしていた瞬太が、「娘さんをください」というモールス信号を送っていたということに、潤平はやっと気付きます。

そこで父は、ついに結婚を認めます。

実況は、72時間の死闘に、

「この素晴らしい戦いに、勝ち負けなんてありません!二人とも勝者です!敗者なんていません。敗者なんていないんです!」

そう締めくくると、「お前もだ!お前も最後までよく頑張ったな」「あんたも、立派な勝者だよ」と、二人は春斗の手を取って上げて言います。


そこでやっと気付きました。

真壁家でのBBQで、太一が歯医者に行ったのにお休みだったシーンの意味。

コントのテーマである「敗者はいない」ということと掛けていたわけです。

あの無駄に見えたシーンは、マクベスを応援し続け、引導を渡すことになった真壁先生からの、隠れたメッセージだったのです。

春斗と瞬太は、「人生においては、マクベスは負けてなかった」と話し合いましたが、他ならぬ真壁先生が、そんなマクベスに、「歯医者は休み」=「敗者はいない」ということを、回りくどく、遠回しに伝えたのです。

それが、コントのオチがわかったことで、隠されたメッセージの蓋が開きました。そのメッセージに気付いた瞬間、私の涙腺は堰を切ったように崩壊しました。しかも、太一が帰ってきたとき、真壁先生はその場にいないんですよ。それがまたにくい。

この真壁先生の思いに気付いた瞬間、私は号泣してしまったんですが、もうあの感覚に戻れないのがちょっと残念です(笑)

私が感動した真壁先生の隠れたメッセージを、二人が気付いたかどうかは分かりません。気付くようなシーンはありませんが、私にも気付けたのだから、きっと二人も気付いているんだろうと思います。

 

伝えたいことほど、遠回しにしてみる

『君の膵臓をたべたい』

時として、言葉で直接伝えるよりも、分かりにくく遠回しに伝える方が、より伝わることがあります。私も大好きな感動作である『君の膵臓をたべたい』では、ヒロインの桜良が、似たようなことを述べています。

主人公の春樹と一緒に図書委員になりますが、桜良は本を決められた所に片付けません。その理由は、

「本だって、探して見つけてもらった方が嬉しいはずでしょ?」

真面目な春樹は、それを理解できないわけですが、一生懸命探したからこそ、見つけた時に味わえる喜びがあるものです。

桜良は、真面目な春樹にそれを伝えたかったのです。決められたことを決められた通りにやっても面白くないのだと。

何でもかんでも、遠回しに言ったり、探さなければならないのは、疲れてしまうし面倒ですが、伝えたいことほど、簡単に直接伝えるよりも、遠回しだったり、ちょっと手間がかかる方が、より伝わるのかもしれません。

 

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の神回である10話でも、似たようなことが言えます。

余命僅かの母親クラーラが愛する娘アンの為に、命を削ってでも手紙を書き続けました。そのことを知らずに寂しがる娘には伝えず、7日間かけて手紙を書き続けました。

やっとアンは、大好きな母親と過ごすことができましたが、程なくしてクラーラは亡くなってしまいます。8歳の誕生日、悲しみに浸っているアンの元に、亡くなったクラーラからの手紙が届くのでした。そこに書かれていたのは、クラーラのアンへの愛。

命をかけた7日間で書いていた手紙は、アンへの50年にも渡る愛の手紙だったのです。

アンのわがままを聞いて、手紙を書かずに遊んであげていたら、その時のアンは喜んだだろうし、確かにそれは愛だと言えるでしょう。ですが、その7日がなければ、50年にも渡ってアンの下に手紙が届くことはありません。

どちらも親の愛でしょうけど、50年分の手紙を書く方が、遠回りかもしれませんが、より大きな多くの愛を残したことは間違いないでしょう。
『君すい』の桜良が言うように、わかりやすく愛を受け取るよりも、探して見つけるような愛の方が、大きな感動を生み出すのかもしれません。

『君の膵臓をたべたい』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を例に出しましたが、この2作は私にとっての二大感動作です。『コントが始まる』も、面白いドラマだとは思っていますが、今回の9話によって、私の中に残る作品になったのは間違いありません。

ちなみに、『君すい』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、姉妹サイト『神アニメランキング!虹見式』で特集しているので、ぜひご覧ください(笑)

君の膵臓をたべたい 当サイト開設一周年に贈る!「住野よる」の純愛青春映画

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第2弾 10話神回 命をかけた七日間〜究極の母の愛〜

 

せいをおかげにして、イマココに生きる道楽家

【道楽舎】「イマココに生きて道中を楽しむ」をモットーにしていますが、それは、確かなものは「過去」にも「未来」にもなく、「今ここ」にしかないからです。

そして、「今」というのは、「過去」から繋がってきた道であり、「未来」へと繋がる道の途中でもあります。

そんな道の中の「今ここ」は、『コントが始まる』で言えば、高校時代での出会いや思い出があって、マクベスでの10年がありました。他の回でも、「努力は報われるか?」ということをテーマに描かれた回がありましたが、「努力は必ずしも報われない。ただ、違った形で報われることがある」というようなことを描いていました。

マクベスの10年間の努力は、芸能界では報われなかったかもしれない。しかし、自分が望んだものではなくても、違った形で役に立ったり、報われることはあるのだと思います。それは、「今ここ」にはないかもしれませんが、いつかある「イマココ」に繋がっているはずで、そこに繋げるのが「せいをおかげに」という考え方なのです。

 

終わりがあるから始まりがある

いよいよ『コントが始まる』も終わってしまいます。マクベスがどんな終わりを迎えるのか。終わってしまうのはとても寂しいものがありますが、終わりを迎えるというのも、悪いものではないですね。終わるからこそ、道を振り返ることができるし、向き合うこともできる。解散を決めたからこそ、マクベスの3人は10年間を振り返ることができて、大事なことに気付くことができたわけですからね。そして、マクベスとして、中浜さんが務めるファミレスに最後の来店での、マクベスを支えてきた中浜さんへの感謝のメッセージも泣けました。

毎日のありがとうも大事ですが、溜めに溜めた感謝の破壊力は、とんでもないですね。その溜まった感謝を吐き出す機会は、「終わり」があるからこそのものでしょう。

物語の終わりは、人の死にも似ていますよね。死を受け入れるから真剣に生きられるように、物語も、終わるからしっかりと観る(読む)ことができる。そして、終わるから新たな物語も始まるわけです。

始まるから終わるのか、終わるから始まるのか。「鶏が先か、卵が先か」という哲学にも通じるものがある、かもしれませんが(笑)、マクベスの終わりと、三人の新たな始まりがどのようなものになるのか。そして、『コントが始まる』という物語が終わり、どんな面白い物語が始まるのか。そんなことを楽しめることが、一番幸せなことなのかもしれないですね。

ちなみに、『コントが始まる』の脚本を手がけたのは金子茂樹さん。フジテレビや、最近では日テレのドラマに多く関わっています。私が見たことがあるのは、『プロポーズ大作戦』くらいですかね(^^;

改めてこの作品を観たら、私が好きな宮藤官九郎作品や古沢良太作品のような展開だったんですよ。伏線と回収が見事に描かれたり、コントと現実の絡め方などが絶妙で、今後大注目の脚本家さんですね!

実は、まだまだ述べたいことがありますが、あまりに長くなってしまった為、前後半に分けることといたします(笑)

次回お送りするテーマは、真壁先生の息子太一が言った「夢って追いかけない方がいいの?」ということについてです。それと、「夢」というものについて、【道楽舎】として、発信したいと思います。

後編は、最終話後の配信を予定していますので、結末についても触れていきたいと思います。

『コントが始まる』もついに最終話!!寂しいですが、『コントが終わる』。ハンカチを準備して、お待ちください!!

 

 
 
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