不自由を味わった分、自由を知る

コロナウイルスによる不自由

コロナウイルスによって、様々なイベントが中止となり、総理の一声で、全国の小中高の学校が休校となりました。ディズニーリゾートも5月6日(以降未定)まで臨時休園することに至りました。

学校は対応に追われ、学生は、急遽卒業式をすることになったり、せっかくの大切な思い出が台無しにとも言える自体にまでなっています。

また、学生の子達は待機児童状態になってしまうので、共働きやシングルマザーのご家庭は、お留守番問題をどうするかに頭を抱えているそうです。

確かに、必要な措置だったかもしれませんが、あまりの後手後手な対応に、喜多もついつい声を荒らげてしまいました。(笑)

道楽舎としては、「せいをおかげに」「タラレバをカラコソ」と提唱していて、コロナ問題についてもツイートしています。

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…などなど。

参加予定のイベントやライブが中止になったり、休校によって被害を被ったりことを、コロナのせい、政府のせいにしたくなる気持ちもわかります。コロナや政府を肯定するつもりはありませんが、起こったことを変えることはできません。

でも、だからこそ"おかげ"にすることで得られることがあると思います。"せい"を"おかげ"にすることが、道楽の醍醐味です。そして、今回のことで、「不自由」を味わっている方が多いのではないかと思います。でも、不自由を感じるからこそ、自由を味わうことができるものです。

今回は、自由と不自由の関係について道楽的に深めていきたいと思います。

物事は表裏一体

物事は表と裏があり、どちらかだけでは成り立たず、どちらか一方だけを取ることはできないし、どちらかだけを大きくすることもできません。自由を知るから不自由を感じ、不自由を味わうから、自由を謳歌することができるものです。

例えば、人はなぜ某テーマパークに遊びに行くのでしょうか?(残念ながら1か月は行けなくなりましたが・・・)

辛い仕事や厳しい現実を忘れるためだったりすると思いますが、日常が大変であればあるほど、非日常の世界をより楽しむことができたりします。

人は、楽をしようとする生き物であり、嫌なことや痛いこと、ネガティブなことは避けたいものです。自由に対してのネガティブなものといえば、支配や洗脳、規制といった不自由なものがあると思いますが、そういったネガティブなものをどれだけ味わったかによって、得られる自由も変わります。

つまり、自由になる為には、自由を突き詰めるのではなくて、不自由をどれだけ味わうかということが、より自由になる道だということです。

不自由を味わうことで、自由を知る

いやぁ、嫌ですよね(笑)。わざわざ不自由を味わうなんて。

面倒臭いし、辛いし苦しい。できるなら楽したい。それはわかります。少なからず、道楽家になった今でも、それはありますから(笑)。でも、ネガティブとポジティブ、両方の極を繋げた大きさが自分の大きさであり、ネガポジ両方を持つことで、バランスが取れた形になるものです。ポジもネガも、光も闇も、正も負も、表裏一体であり、陰陽玉のように相互に循環しています。この宇宙の成り立ちや自然界を考えても、どちらか一方だけでは、そもそも存在し得ないのです。どちらか見たい方だけを見るのも違います。

例えるなら、正面から見たらめちゃめちゃイケメンだけど、後頭部はハゲとるやないかい!というようなものです。わかりにくいですか?(笑)イケメンだけどハゲてる。その両方があって、その人なわけです。それは、形でなくても同じです。

人に見せたくない所こそ、向き合うべき影

人には誰しも、自分の嫌いなところや人に見せたくないものが一つや二つ、人によっては十以上あるでしょう。しかし!人に言えないことがあればあるほど、自分が見たくないものがあればあるほど、その人自身の「道楽的自由度」は間違いなく大きくなっていきます。

自分の見たくない所を見なければ、見たい所も見えなくなるものです。見たい所だけを見ていても、それは本当の自分ではないし、見たくない自分を否定することになります。自分の一部である見たくない自分を否定(分離)していては、本当の意味で自分を愛することはできないし、心の底から深い幸せを感じることも難しいでしょう。

死にたくなる時があったり、自殺するような人は、きっとそういう心理状態のはずです。バランスを保てないくらい、自分を否定してしまって、衝動に駆られたら、一線を超えてしまうかもしれません。その否定が、自分ではなく他人や世界に向いてしまったら、場合によっては人を殺したり、テロを起こしてしまうんだと思います。

一説には、ガンになる人は、真面目で自分を責める傾向にある人に多いと言われています。それは、外に向けば、他人を攻撃したり、傷付けたり、殺したりするエネルギーが内側に向くのなら納得です。
外に向く場合も、自分の裏(影)を見ないようにしていたり、認めていないはずです。エネルギーが、内に向いているか、外に向いているかの違いです。

人は外に答えを求めがちですが、外にある答えと見えしものは、ただの景色でしかなく、本当の答えは、自分の内にしかないのです。ただ、自分の中の答えに辿り着くためには、外に見える景色を投影しないといけないのかもしれません。というより、外の景色の見え方そのものが、自分の心の在り方なのだとすれば、「なぜ自分にはそう見えるのか?」ということが、答えを導き出す問いになるのではないでしょうか。

楽して自由になりたいし、嫌なことはみたくない。本人がそれでいいなら、私は別に構いません。ただ、それ相応の自由や感動、幸せしか味わえないとは思います。多少なりとも、普通では味わえない感動や衝撃を、自分自身が味わってきたからこそ、私は道楽家になり、「道楽舎」を立ち上げました。

求めるなら代償が必要です。その代償に応じたものしか手に入らないので、求める自由に応じて、不自由をしらなければならない。これは逆に、味わった不自由に応じた自由を手に入れられるということでもあります。ただ、その為には、不自由の中にある【自由な自分】へと通じるゲートをくぐる事ができるかが、とても重要な鍵になってくるのだと思います。

今後、コロナウイルス対策の影響がどうなっていくかはわかりませんが、努力や行動によって変えられるものもあるとは思いますが、個人ではどうにもならないことは、"せい"にして終わらせるのではなく、"おかげ"にできるように、見方を変えて、道楽思考で不自由を味わった上で、自由に変えていきたいですね。

 

 
 

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