正解/レールに沿った生き方はつまらない!

「正解/レールに沿った生き方はつまらない」

先日、私MAXが配信した、「笑いとは間違うこと」というコラムから、道楽舎的にカスタマイズしたコラムをお届けしたいと思います。

 

正解はつまらない。間違うからこそ面白い

笑いとは、「間違い」から生まれます。間違えて、それを突っ込むことで、笑いになります。最初から、間違えずに正解を出していたら、何の笑いも生まれず、面白くも何ともありません。バラエティでも、クイズで芸人がいきなり正解を出すとつまらないですよね(笑)そこは大喜利でいかに面白い間違いを出すかが「正解」なんです。

間違いが正解

そういう意味では、「お笑い」「間違いだらけ」です。

以前、MAX個人のコラムで「コメディは物語にて最強」を配信しました。

コメディとは、失敗や間違い、悲劇を笑いに昇華したものです。つまりコメディは、失敗や間違いがなければ成り立たないのです。

失敗を悲劇にするか、喜劇にするかは、面白くできるかどうか

誰しもが「面白い人生」「喜劇」にしたいかどうかはわからないので、そうじゃない方にとってはスルーしてもらえればいいんですが(笑)、道楽舎としては、人生を楽しんで生きたり、面白い物語のような人生にしていきたいと思っています。

悲劇のような人生を喜劇にするポイントは、「面白い」と思えるかどうかです。

「面白い」と言っても一言では言い表せません。新喜劇みたいなコテコテの笑いもあれば、漫才やコント、リアクション芸や滑り芸など様々です。色んな笑わせ方があり、笑いの好みがあると思います。
笑いとは「間違い」や「失敗」だと言えるので、間違いや失敗の数だけ、笑いを生み出すネタを持っていると言えます。

なので、今までたくさん失敗をしてきたという人や、判断を間違えて後悔しているという方に対して言いたいのは、

「せっかく爆笑できるようなネタを持っているのに、コメディにしないなんてもったいない!」

ということです。そして、これから先の人生で、失敗や間違ってしまっても、笑いに変える力があれば、面白い物語にすることができます。なので、「失敗を恐れるべからず」どころか、「失敗したり間違った方が面白くなる」ということを、道楽舎としては発信して行きます。

笑われても、それが喜劇

間違いが「面白い」なら、正解は「つまらない」ということになります。そういうことから、正解したつまらない人生を送りたいならそれでよし。面白い人生にしたいなら、失敗を誇って面白くすればいいわけです。

つまり。失敗のない人生なんて面白くないんですよ。

逆に言えば、成功しかしていない人生は、一見素晴らしく見えるかもしれませんが、道楽的に言わせてもらえれば「つまらない人生」です。

そもそも失敗のない人生なんてないんですが、失敗を失敗と認めない、失敗を"せい"にしたまま"おかげ"にできない人生は、言うなれば復讐の人生のようなものです。おかげにできる人生は、コメディとしてたくさんの人を笑わせて豊かにすることができる。

失敗が失敗だとわかるから、面白くすることができるのです。ただ、それは先ほど述べたように、笑いにするには実力がいります。それは「笑いとは間違うこと」でも触れていますが、お笑いは、正解がわかってないと、間違うことはできません。失敗や間違いだと認識するためには、自分にとっての「正解」もわかっていなければなりません。

そして、失敗を失敗だと認めることは、簡単ではありません。失敗を認めて笑いに変える為には、結果を目的にするのではなく、「道中を楽しむ」という道楽の精神が必要です。

お笑いでは、「笑われるな、笑わせろ」と言われていますが、その実は、大した差はないように思います。笑わせようが笑われようが、笑わせたのは自分です。「喜劇」にしてしまえばどちらも同義であり、価値は同じだと思います。

間違いを面白さに変える道楽舎

道楽舎のメンバーは、当然、失敗もするし、間違いもするし、ヤラカシもします(笑)

でもそれは、面白い人生にしたり、面白い物語にする為に必要なこととして、潔く受入れる覚悟があります。

ビジネスで大金を稼いだにも拘わらず従業員に持ち逃げされ、ウマイ投資話に手を出して大損を経験し、さらに×2でありながらも人生に絶望することなく、悠々と自分の生きたいように、やりたいように、毎日楽しそうに生きる経営者がいたり。
社会人一年目で早々ドロップアウトし、ニートにもなりその後再起を図った飲食店店長時代では、バイト全員に「辞める」と言われるも誰も辞めさせなかったり、素人から独学でカメラマンを始め、5年かけてやっといっぱしになった個人事業主がいたり。
社会人4年目にして、国家公務員という勝ち組になりながら、政治家と官僚の腐敗を目の当たりにし、世間的評価よりも己の正義を貫くも、多額の仮想通貨を溶かしたり、二度の転職をすることになりながら、「すみません」を100万回連呼する日々を送る、小説家を目指す道楽ライターだったりします。

私たちは、道楽舎としては、まだ世間的には何者でもありません。

そう、何者でもないからこそ、誰に支配されることもありません。その分、まだ誰に何も残してはいないかもしれませんが、今までしてきた失敗や間違いも、これからするであろう(笑)失敗や間違いも、全ては、道草を楽しむ「道楽」の元、面白い物語を作る為に必要なこととして受け入れる所存です。

間違うことを前提に加味(神)する

なので、道楽家にとっての失敗や間違いは、笑いを生み出し価値にする『イベント』として受け入れ、面白さに転換していきたいと思います。

悪いところは直すのではなく転換する

ある意味、我々の失敗は、キャラの視点ではなく、作者の視点を持って「意図して間違える」ということになるかもしれません。

道中を進んでいる私たちにとっては、ハプニングだったり、予想もつかない失敗をするかもしれませんが、この道を進んだ先にいる私たちにとっては、

「ナイス失敗!その失敗のおかげで今があるよ!!」

と、胸を張って全力の笑顔で言っていることでしょう。

プレイヤー、キャラとしては意図して間違えるつもりはないかもしれませんが、物語の作者の視点も持ち、失敗や間違うことを織り込んで生きるのが、「道楽家」です。

道楽家のすゝめ

「道中を楽しむ」ということは、ただ楽しく生きるのではありません。遠回りになるような道草したり、波風が立ったり問題が起こることも、物語が始まるイベントとして酸いも甘いも嚼み分け、清濁を併せ呑み、毒を食らわば皿までと、味わい尽くすというものです。

「道楽」という響きは、とても楽そうに感じるかもしれませんが、いやいや、ある意味ドMじゃなければなれないかもしれません(笑)

私はドSだから無理、と思った方!いやいや、物事は表裏一体。ドSはドMにもなれるし、自分に向けてドSを発揮すれば、それはドMになるので、実は誰でも「道楽家」になれるんですよ!(笑)

失敗や間違いを甘んじて受け入れるドM性を持ち、間違うことを前提に加味していきていくことが、神懸かった物語として語り継がれ、「神アニメ」と言われるようなものになったり、いずれは「神話」として語り継がれる「道」になるかもしれません!

そんな生き方を、道楽舎は目指しております。気になった方はぜひフォローしてくださいね!

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

道中を楽しむ道楽家として人生を謳歌し、自分にしか出せない価値を生み出す! そのためのきっかけ・環境をつくるのが`道楽舎` 思うがまま自由に、本当の自分で生きていく。 道中に転がる大切なものを見つけ、欲しいものも手に入れよう!