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話題ドラマのセリフから、際立った「道楽」
テレビ朝日とAbema TV共同制作の話題ドラマ。浜崎あゆみ誕生を描いたドラマ『M〜愛すべき人がいて〜』。
30、40代にとっては、アユを「神」と崇める人もいるかもしれません。私MAXは全く興味がなかったので、全然ハマることもありませんでした(笑)。ドラマも全く観てはいないし観る気も起きませんでした。ただ、特にAbema TVを流していると、しょっちゅうCMが流れてきて、部分的にシーンを目にします。
そこで、エーベックス代表の松浦勝人をモデルにしたマサ役の三浦翔平が、アユに言うセリフがありました。
「アユ!今を見るな!未来を想像すんだよ!!」
90年代の音楽バブル期とは言えど、成功することは簡単ではありません。たとえ成功しやすい時代であっても、成功する人はほんの一握りで、多くの人挑戦者たちが、健闘むなしくこぼれ落ちていきます。
成功を求めるライバルだらけで厳しい現実の中、中々報われず、「今」という現実から目を背けたくなることもあります。ただでさえ厳しい世の中です。乗り越えるためにも、今を見ずに、未来を想像することは少なくないのではないでしょうか。
「未来を想像する」ことの落とし穴
「未来を想像しろ」という言葉は、ツラく背けたい現実から目を逸らし、輝く未来を想像して乗り越えろ、という意味だと思います。
成功している未来を想像して、今を耐えろ、という意味合いではないでしょうか。
成功哲学とか、成功を謳うメソッドなどが巷に溢れていますが、「明るい未来を描いて今を耐える」とは、言い換えれば、未来のために「今を犠牲にしろ」ということだと思います。
もちろんこれは一つの成功法則かもしれません。今もなお言われていることだと思いますが、どうも感覚が古く臭く感じるのは私だけでしょうか?
戦後の焼け野原から復興するために、今は貧しく苦しいかもしれないけど、明るい未来を想像して懸命に努力する。努力はいつか必ず報われる。それには命懸けで根性で乗り切るんだ!という考えは、確かに昭和の時代には良かったのかもしれません。実際に頑張れば明るい未来が手に入るという「夢(幻想)」を見られた時代でもありました。当時の漫画やアニメもそのような時代背景を象徴的に描いたものが多かったと思います。
しかし今や時代は変わり、「成功」そのものの価値や在り方も変わってきていると思います。人それぞれ「成功」の形は違い、道筋も違います。「こうすれば必ず成功する」という「やり方」自体がもはや完全に揺らいできています。確かに、一定の型にはめれば、成功する可能性は高くなるかもしれませんし、普遍的な成功法則や真理というものはあるかもしれません。私自身も実際に成功法則を無視したり、蔑ろにするつもりはありません。しかし、誰かが歩き、整え、決まった行き先を人生の目的にするのは、道楽家としては面白くない、そう思うのです。
断っておきますが、道楽家は成功したくないわけではありません。美味しいものを食べたいし、旅行もしたい。自由でいる為には、当然お金も必要です。今のところは、お金を手に入れるには(便宜上)成功も必要です。
道楽家にとっての成功とは?
ただ、一般的に言われている「成功」というものは、道楽家の望むそれとは少し違います。「今を見るな!未来を想像しろ!」という言葉は、先ほども言ったように、どこか旧時代の考え方のように感じます。まぁ、ドラマはまだバブルを引きずる1990年代の話ですからね…。
それに、これが「成功だ」と言えるものがあったり、このセリフの通りに捉えるならば、「成功するためには、引き換えに今を犠牲にする」ということであるなら、私はそこに一抹の違和感を感じるのです。
道楽とは、「道中を楽しむ」というもので、今と向き合い、「イマココ」に生きて、今しかできないことをしていく、という生き方です。それはただ単にやりたいことだけをやって、自分勝手に好きなように生きて、後悔しなければそれでいいというような単純なものではありません。(よく誤解はされますが…^^;)
少なくともマサが言ったように、今を耐えて未来に希望を託すのとは違います。望む未来にするために、今を耐えたり、犠牲にするのは違います。もちろん、時として耐えたり我慢する必要もあるので、その過程自体を否定はしません。ただ、今と向き合わずに幸せな未来は訪れない、と考えているのです。
成功するから幸せとは言えない
例えば、アユが目指したように、「スターになりたい」という夢が、実現したとします。しかし、夢が叶ったからといって、それで幸せになるわけではありません。スターになったらなったで、大変なことは沢山あります。
仕事は忙しくて休みは少ない。
パパラッチに追われたり、メディアでは有ること無いこと言われる。
次から次へと、新たなパフォーマンスを求められ、常にプレッシャーにさらされる。
大金を手にしたとしても、お金目当ての付き合いばかり。
どこにいくにも注目される為、自由がない。
いかがでしょう。成功したせいで、失うものもあるし、余計な問題も出るものです。
三浦春馬さんの訃報
悲しいことに、昨日は衝撃的なニュースがありました。俳優・三浦春馬さんの自殺。30歳とまだ若く、これから益々活躍するだろうと思っていました。詳しいことはわかりませんが、人気も実力も兼ね備えた有望な俳優さんでした。突然の訃報を受けて、数々の著名人や一般の方々の、死を惜しむ声が絶えません。それほど愛される方だったんだろうと思います。
三浦春馬さんのことに関しては、MAXも喜多も、個人のnoteで配信しているので、ここでは言及しません。
役者として成功し、誰からも愛される人であっても、自ら死を選んでしまった。その理由も背景もわかりませんが、側から見て成功していたとしても、幸せかどうかは本人次第。必ずしも、成功したり有名になることが幸せになるということではない、ということなんだと思います。
なぜ成功したいのか。
それは、幸せになる為のはずです。それなのに、成功して苦しむのは、本末転倒です。
道楽舎では以前から、形の中に幸せはないと述べています。例えスターであっても、なることで幸せになるのではなく、「どう在るか」が大事だと。
幸せの定義は人それぞれ違うと思いますが、私たちは、幸せは「なる」ものではなく「在る」ものだと思っています。
この世界は光と影の輪舞(ダンス)
私たち道楽家は、この人生で起きるすべての「良い・悪い」「成功と失敗」「光と影」「陰と陽」は、それぞれ等価であり、常に絶え間なく循環して人生を彩っている色彩のようなものだと捉えています。
何かを得たということは同時に何かを失ったということであり、
何かを失ったということは、同時に何かを得ているということ。
成功も失敗も、本質的には「等価」であり、それを使って、自分の人生をどう「幸福な在り方」に結びつけるかは、一人一人の裁量に委ねられている。
私たちは、このように物事を捉えています。
「現在なくして、過去も未来もなし」
また、何を持って「成功」というかも、人それぞれです。
過去に捉われていては、幸せではいられないし、未来だけをみても、そこに幸せがあるとも限りません。未来は、続いていく「現在」の先にあります。過去を乗り越え(再定義し)、今と向き合い、不確定な未来を受け入れることが、自分にとっての成功になり、幸せなのではないでしょうか?
未来は不確かなものです。逆に、過去は確かなもののように思いますが、実はそうでもありません。人の記憶は曖昧だし、起こった事実は変わらなくても、捉え方は変わります。だからこそ「せいをおかげに」できるものです。それに、人は忘れる生き物です。過去にあったことも忘れてしまうことがあります。
つまり、確かなことは、「現在ただ今(イマココ)」にしかないということです。
不確定な状態を生き抜くヒントは、こちらのコラムで。
過去というのは、「今」が過ぎ去ったものです。ただでさえ忘れていってしまうのに、今と向き合っていなければ、過去はますます不確かになるものです。過去が不確かであれば、未来も不確かなままです。
ツラい現状にあって、今を見ずに未来を想像することで、得られるものはあるのかもしれません。ただ、今と向き合わずにいれば、得られた成功も薄ぼんやりとした不確かなものになるのではないでしょうか。
「せいをおかげに」今を生きる
道楽舎では「せいをおかげに」という価値観を重視していますが、それは、今と真剣に向き合っていく生き方です。
もし、目を背けたくなる今であっても、今を見ずに未来を想像するのではなく、今と向き合って、苦しんだり、失敗したとしても、最終的には「せいをおかげに」していくのが道楽家です。
もし、どうしても辛いなら逃げたっていい。逃げた今と向き合っていけば、逃げたことは必要なこととして、未来の今に繋がる。それが、「せいをおかげに」することです。失敗したおかげ、逃げたおかげにできれば、失敗したって、逃げたっていいんです。どんな「今」でも、向き合っていけば、それが未来につながる道となります。
まさに、「現在(イマ)なくして、過去も未来もなし」。成功を求めて今を見ないのもいいですが、さらにその先の未来では、せっかく得られた成功も、無かったことになってしまうかもしれません。芸能界のニュース報道をみても、そのような事が世間ではそれこそ無数に存在しています。そんな虚しい未来を過ごさないように、しっかりと今と向き合って、「せいをおかげに」生きていきたいですね!
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