悪いところは直すのではなく転換する

悪いところは直すのではなく転換する

「反省」について反省ではなく道楽的分析を、という三部作をお送りしました。

道楽的分析の指標(上)「反省せずに分析しよう」

道楽的分析の指標(中)「時間の流れを逆転させてみる」

道楽的分析の指標(下)「"せい"を"おかげ"にするには」

 

今回のコラムはこれらを補完するものでもあり、「表裏統合」を掲げる道楽思考をお送りいたします。

「反省」については、こちらのコラムをご覧いただければと思いますが、

「反省」は、過去に自分を閉じ込めたり、自己イメージを低下させるところがあります。そして、悪かったことを直して良くしなければいけません。

「悪(敵)」も役割の一面に過ぎない

道楽にとっては、「善」「悪」も、表と裏であり、同じエネルギーだと認識しています。ただ、表面に形として現れたら、「善」や「悪」であっただけです。

昔から、思っていたことではありますが、なぜ犯罪者は犯罪を犯してしまうのか。それを考えて思ったことがあります。

「そのエネルギーが他に向けばいいのに…」

という言葉を耳にしたことありますよね?
人を殺したり自殺したり、犯罪を犯すとき、相当な覚悟やエネルギーがいると思うんです。よく、「人は死ぬ気になればなんでもできる」と言いますが、死ぬくらいだったら生きればいいのに、と思ってしまいます。

他にも、無駄なことに力を注いだり、趣味などに時間を費やしたり。それだけの情熱が仕事に向かえばいいのにね、なんて、ドラマやアニメでもよく言われたりすると思います。「悪」であっても「無駄」であっても、それを直すということは、エネルギーを低下させることになってしまう。

わかりやすく数値化してみると、悪いことをした時のエネルギーを10だとします。そこで、反省して、悪いところを直したことで、エネルギーが5に下がったとします。しかし、善悪が表裏なので、良いことに使えるエネルギーも5になってしまったわけです。

そんなにわかりやすいものではないですが、ただ悪いことを直すということは、良くなるわけではありません。

衝撃アニメ『バビロン』に見る、「悪」の意味

昨年の冬期のアニメで、7話から8話の間が1ヶ月以上空き、1クール3ヶ月で終わるルールを破って、今年の1月に終了した異例の最終回を迎えた『バビロン』という作品があります。

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「自殺の是非」「善悪」とは何かということを描いた作品なのですが、神アニメランキング虹見式!で、特集コラムを近々配信する予定です。

『バビロン』では、「善」とは何か、「悪」とは何かについて描かれました。そして、「曲世愛」という稀代の悪女が登場し、主人公の正崎善を揺さぶります。

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「悪」はいけないことでしょうか?ダメなことでしょうか?

倫理的、道徳的に言えば当然そうです。もちろん、良くはないことだとも思います。

ですが、「物語」において、最も重要なのは、実は主人公よりも「敵役」「悪役」なんです。「敵役」「悪役」に魅力がなければ、主人公の魅力も軽減してしまうんですよね。人気の作品には、間違いなく、魅力のある敵が現れます。そして、人気のある敵が現れる作品は、もれなく「神アニメ」になる研究結果が出ています。

赤い彗星のシャアを生み出した『機動戦士ガンダム』
ベジータやフリーザを生み出した『ドラゴンボール』
戸愚呂兄弟を生み出した『幽遊白書』
幻影旅団やメルエムを生み出した『HUNTER×HUNTER』
藍染惣右介を生み出した『BLEACH』
ペテルギウス・ロマネコンティを生み出した『リゼロ』
曲世愛を生み出した『バビロン』

などなど、数々の魅力ある敵役・悪役を生み出している『ONE PIECE』や、一気に覇権アニメにのし上がった『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨も、言わずもがなです。

面白い物語を作る上で大事なのは、魅力ある主人公より、魅力ある敵の方が重要なのかもしれません。敵の存在によって、主人公は成長するし、敵を倒すための仲間が必要となります。作者としても、面白くするために、現状では勝てないような巨大な敵を生み出したりするものです。

悪であっても、受け入れてエネルギーを転換させる

それは、私たちの人生においても、同じことが言えます。

自分の周りで「悪」だと見えるもの。自分の中に「悪」だと見えるものがあったとしても、それは自分の人生という物語を面白くする為の役割に過ぎない。どんなに悪を裁いても、それが目的でない以上、悪がなくなることはないでしょう。しかし、役割として認めてしまったら、ベジータが後に仲間になったように、大きな力になるかもしれません。

「もしベジータが地球に最初に来た時に死んでいたら」という検証をしている方がいたのですが、もしベジータが死んでいたら、ナメック星でフリーザにやられて詰みだった、というオチになったそうです(笑)
悟空がベジータを助けたこともあって、ベジータはいまだに活躍していますが、悪だからといって切り捨てると、後に自分を苦しめることになるのかもしれません。

許せないような「悪」であっても、排除したり罰を与えて終わりなのではなく、その「悪」の役割はなんだったのかということを、目をそらさずに受け止めていくことこそが、大事なんだろうと思います。

悪だからといって目を背けたり、反省して直したり、罰を与えて終わりにするのではなくて、受け入れて「役割」を見出し、エネルギーそのものを抽出して、別のものに転換させる。それこそが、悪を悪で終わらせることなく、善にも何にもすることができ、人生を面白い物語にすることであり、「道楽」というものです。

そして、悪は切り捨ててしまうのではなく、「表裏統合」していくことが、宇宙の根源の概念とされる、トップ画像の陰陽玉(太極図)のような、光と闇を自由に行き来できる、「道楽の極致」の状態に辿り着く道になるのでしょう。

 

 
 
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