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卒業生、新入生、新社会人…そして疲れ切った中年・壮年・老年(笑)にも捧ぐメッセージ!(前編)
「今しかないから青春。今を生きれば一生青春」
皆さん、ようやく待ちに待った春がやってきましたね~~!春といえば卒業や入学、新社会人の人は新しい会社に入社するなど、大きな生活の変化もあった人も多いと思います。そんな春といえば、誰しもが懐かしき「青春時代」を連想しますよね。
そして、「青春」といえば、やはり学生時代を思い起こすのではないでしょうか?
甘酸っぱくもあり、目標に向かって直向きに汗を流し、時には涙を飲む。恋も勉強も、うまくいくことばかりではなく、むしろ苦い思い出の方が多いのかもしれません。
そして、夏は甲子園。冬は国立競技場など、大人たちを沸かせ、感動させて胸を熱くしてくれるのもまた、「青春」の若いエネルギーによるものなのかもしれません。
大人をも魅了する高校野球や高校サッカーは、なぜこんなに美しいのか?…それは、3年間という限られた時間しかないからです。限られた時間の中で、目標に向かって仲間と共に進み、3年生は負けたら引退という現実を背負い、苦楽を共にする。そんな情熱と儚さがあるからこそ、感動を与えるのだと思います。
甲子園といえば、「熱闘甲子園」という番組が有名ですが、敗退する学校を特集する中で、監督から涙のメッセージや、苦しい練習に耐え、悔しいけどやり遂げた熱い思い、生徒からの先生への感謝のメッセージなどなど…毎年生まれるドラマに、観てるだけでもう感極まってしまいます(T-T)
「青春」には、その時を過ごす本人にとっては一生の思い出となり、青春期を過ぎた大人には、熱い情熱と感動を呼び起こすエネルギーがあります。そんなことを、改めて思い起こしてくれたのが、14年前に放送された『ROOKIES』という作品が、最近無料配信されていて久々に観たからなんです!(笑)
以前にも、「道楽家は、一生青春!」というコラムを配信しましたが、今回はもっと深く、じっくりと掘り下げた内容なので、ぜひ最後までお付き合いください(^^)
高校野球と青春
『ROOKIES』の紹介
少年ジャンプに掲載され、ドラマ化して劇場版にもなった名作。14年も前の作品ということで、もしかしたら10代の若い人の多くは知らないかもしれませんが、主題歌のGReeeeNが歌う『キセキ』は、今なお歌い継がれる名曲です。
作者は『ろくでなしブルース』『べしゃり暮らし』などの名作を生み出した、森田まさのり先生。森田先生の作品にはヤンキーがよく登場しますが、『ROOKIES』も、主役たちはヤンキーです。暴力事件を起こしたことで半年の活動停止となり、野球部は練習することなく、部室はヤンキー達の憩いの場(溜まり場)となっていました。
そこに赴任してきた教師、佐藤隆太演じる川藤幸一。彼は「夢にときめけ!明日にきらめけ!」を合言葉に、「お前の夢は何だ!?」と、生徒一人一人と真正面から向き合います。
夢を諦め、ヤンキーとしていばり散らして「好きなことだけをやれる野球部こそが、自分たちの居場所だ」と。そうやって逃げ込んでいた生徒達一人ひとりが真剣に自分自身と向き合うように、川藤は諦めることなく寄り添い続けます。
やがて、そんな熱血教師に一人一人と感化されていき、練習を始め、チームは一つになっていきます。ヤンキー野球部がゆえ、様々な問題が起きますが、甲子園出場を目標に、ヤンキーながらも一生懸命練習に打ち込むようになっていきます。試合も勝ち進むようになり、甲子園も視野に入ってきたが・・・
というようなストーリーです。
今改めて観てみたら、「ストーリー展開は流石にちょっとうまく行き過ぎだろう」と、ちょっと突っ込んでしまいましたが(笑)、それでも、自分の弱さを認め、仲間と共に「甲子園出場」という夢に向かう「青春」そのものの姿には、感動して胸も震えました。
きっと、川藤が諦めずに生徒達と向き合えたのは、その時しかない時間を逃げ続けることの虚しさと、「夢」という目標に向かって励むことの大切さを知っていたからなのでしょう。
終わりがあるからこそ、「今」に価値が出る
高校生活というのは、確かに3年しかありません。部活に熱中して過ごしても、だらだら過ごしても、終わってみれば「あっという間」でしょう。であるなら、卒業してからの人生は、「ずっという間」だと言えるでしょうか?
『ROOKIES』に限らず、「青春モノ」の面白さは、「卒業」という終わりがあることです。いずれ終わってしまうから、時に限りがあるからこそ、その光は強さを増し、大いに盛り上がるとも言えます。
少し話は逸れますが、太陽のような恒星が一番輝く時をご存知ですか?それは、超新星爆発という、恒星としての寿命を終える最後の瞬間です。果物が一番甘い時も、腐る直前だと言われています。
つまり、「終わる直前」こそが、一番輝く時だということです。
話を戻しますが、ことスポーツ作品に関しては、このように「卒業」という終わりが決まっている高校時代の方が、負けたら終わりのトーナメント制ということで、とても描きやすいのでしょう。バトルものの漫画などでも、テコ入れするためにトーナメント制が取り入れられたりしますが(有名なところで、天下一武闘会や暗黒武術会など)、「負けたら終わり」という展開は、物語として盛り上がる要因なのでしょう。
もちろん、その後のプロスポーツを描いた作品もありますが、終わりの設定が「引退」となってしまうと、ちょっと長過ぎてダレてしまいます。主人公の引退までを何十年も描くというよりは、新監督が来て優勝を目指す、一番盛り上がる一年だけを描く、という描き方のものが多いです。
一試合一試合をじっくり描くと、1年が10年くらいかかってしまいますからね…(^^; 長年続くスポーツ作品の場合、時間が乖離しすぎてルールも変わってしまい、臨場感がなくなってしまう、なんてこともあったりします。
終わりまでの「今」を生きることが「青春」
高校スポーツを例にしましたが、高校においては、卒業という終わりまでの時間を生きることが「青春」だと言えます。
そして、人生においては、「死」という終わりまでの時間を、限りあるものとして「今と向き合い」生きていくことが、人生における「青春」だと言えるのではないでしょうか。
なので…短い学生時代だけが「青春」ではない!!
大人になってからだって、何かしらの終わりに向けて「今」を生きていくことで、いくらでも「青春」を味わうことができるはずです。ただ、高校が「3年間」というように、その時々で長過ぎないスパンで「節目」を作ることが大事なのかもしれませんね。
ちょっとビジネス的な話にもなりますが、「大目標・中目標・小目標」を立てるという手法があります。しかし、変化が激しい今の時代、10年以上の長いスパンで目標を立てても意味をなさない可能性が高いので、1年ないし3年くらいを視野に「目標」でも「夢」でも立ててみたらいいと思います。ただ、それを会社の上司や組織の命令でやらされるのではなく、自分自身で望んで取り組めるかが大事です。
本当の意味で、自分が目指したいことなのか。所属する会社が言うから目指すのか。その時々の社会や時代の価値観に合っているから目指すのか。誰に反対されようが、時代に逆行していようが、自分の本心から出た「本音」であればこそ、目指す意味があるのではないでしょうか。その「本音」が見つかるまでは、会社やコミュニティ、時代に合わせてもいいとは思いますが、最終的に自分が納得できるかどうかは、自分の「本音(内発的意志)」を掴めるかどうかです。それを元に、人生を「今を生きる青春」として生きていけたら、少なくとも終わりの時に「後悔」はなくなるはずです。
『ROOKIES』の川藤が生徒達にしていたことは、生徒自身の本音に気付かせることだったのでしょう。それぞれが納得できたから、川藤は生徒から認められ、愛されたんだと思います。なぜなら、川藤自身が、自分の本音に従い、自分自身が納得する生き方をしていたからです。
成功がもたらす未来への影
『ROOKIES』から学んだことは、限られた時間を有意義なモノにするために「夢」がある、ということです。夢を叶えることそのものが目的ではない。叶えるまでの道中こそが、最も価値のある宝があり、実現された夢は、ただの「結果」でしかありません。
仮に、みごと夢を叶えたとしましょう。夢が叶ってしまったら、その後はどうしますか?夢が叶い、一時は幸せにもなり、盛り上がりもするでしょう。チヤホヤもされるでしょう。
しかし、場合によっては、叶えられた夢は「過去の栄光」となり、その過去に縛り付けられる鎖にもなり得るのです。よくある話では、オリンピックで金メダルを獲った人の中には、その後の目標を失って「燃え尽き症候群」になってしまうというのを聞いたこともあると思います。
『ROOKIES』を例にしましたが、高校野球作品では往々にして「甲子園」が目標となり、「夢」として描かれます。『ROOKIES』では、結果として甲子園出場を果たしますが、出場したからといって、その後の人生がすべてバラ色で安泰になるわけではありません。
ハンカチ王子の悲運
甲子園に出場し、優勝したとしても、それによって後々苦しむことだってあります。
例えば、球界を代表する、楽天イーグルスの田中将大投手は、昨年引退した日本ハムの斎藤佑樹投手率いる早稲田実業に決勝戦で負けてしまい、優勝できませんでした。
その後、田中マー君はプロへと進み、「マー君神の子不思議な子」と野村監督に言われたのは有名です。そして、WBCの日本代表にもなり、年間24勝無敗という記録を打ち立てる活躍をして、ニューヨークヤンキースのエースにもなるなど、今なお日本トップクラスの活躍を続けています。
片や、優勝した斎藤佑樹投手は、早稲田大学に進学した後、大学野球でも優勝し、「持ってる男」とも呼ばれ、大きな期待を背負ってプロ入りしました。しかし、プロでは思うような活躍は出来ず、批判もありながら引退することとなり、通算15勝というちょっと寂しい成績で、10年間のプロ野球選手に幕を閉じました。
そんな二人の姿を見て、多くの人の目には、田中将大選手の方が華々しい活躍を見せ、成功していると映っているのではないでしょうか?
かと言って、最終的にどちらが幸せなのかは、私たちにはわかりません。
ただ、斎藤佑樹投手も、不振に喘いでいる時のインタビューで、甲子園で優勝したことを後悔しているように感じました。「優勝していなければ、こんなに期待されることもなく、違う人生を歩んでいたのではないか」と答えていたのです。
もちろん、まだまだ人生の途中なので、今後どうなるかは分かりません。【道楽舎】では、「せいをおかげに」と掲げているので、過去の失敗も後悔も、おかげにすることはできますから。
でも、過去の大きすぎる成功は、自らの価値を「過去」に閉じ込めることにもなり得るということです。
甲子園の怪物の光と闇
もう一人取り上げたいのが、清原和博氏です。
甲子園でのホームラン記録(13本)を持ち、「甲子園は清原のためにあるのか!」という名実況も生まれました。ドラフトでは、巨人入りをアピールするも、チームメイトの桑田真澄氏がドラフト一位となり、涙の会見をしたのは、ファンではなくても知られていることでしょう。その後、西武ライオンズに入団し、一年目で巨人を倒して日本一になりました。試合終了間際に流した涙を見ると、色んな思いがこみ上げてきます。そして、トップクラスの活躍を見せ、後に念願の巨人移籍を果たしますが、巨人時代は批判も多く、最終的にはオリックスで引退を迎えました。
その後、覚醒剤使用で逮捕されたことは誰もが知るところです。今は、YouTubeを開設し、薬物治療をしながら、評論家として野球に携わっています。
https://www.youtube.com/channel/UC9aER0bs2IpqTQNKljzzBFQ
清原氏も甲子園での栄光、プロでの重い期待というものが足枷となり、精神的なストレスで酒や覚醒剤に走ってしまったと言われています。じゃあ、成功していなければ良かったかと言われたら、そうでもないと思いますが、やはり【道中を楽しむ】という観点を持たず、ステレオタイプな「既定路線での成功」という価値観で生きていたら、「過去の栄光」に苦しむことになるかもしれません。
清原氏に対して、松井秀喜氏は甲子園で「5打席連続敬遠」をされたことが大きな話題となりましたが、優勝はおろか2回戦で敗退しています。ところが、敬遠によって松井選手の評価は上がり、逆に相手校の明徳義塾の監督や投手は非難の的となりました。
また、4番打者の松井選手は敬遠されましたが、5番打者の選手は戦犯扱いをされ、後々、トラウマで野球を見られないほどとても苦しんだそうです。
松井選手は、「5打席連続敬遠された程の選手」として、プレッシャーもあり、非難された相手校やチームメイトの為にも、その名に恥じない選手であろうと、常に思っていたそうです。長嶋監督と共に努力を怠らず、国民栄誉賞を受賞するほどでした。
私MAXは、松井選手が一番好きな野球選手なんですが、それは「5打席連続敬遠」という衝撃に甘んじることなく、そして大きな期待に潰されることなく、自分のペースを乱さずに努力し続けて活躍していたからです。
イチロー選手も、4000本安打を打って「次の目標は?」と聞かれた際、「4001本目ですね」と答えましたが、そういう意識がある人は、足元を掬われるようなことはあまりないのかもしれませんね。
「成功」や「夢」という言葉の注意点
以前のコラムでも述べておりますが、「成功」や「夢」という言葉は、聞こえはいいですが、その裏には様々な思惑や、ハラスメントも見え隠れしているものです。「成功」と一言で言っても、本来、人によってそれぞれの「成功」は違うはずです。そもそも、その成功や夢は、本当に自分の内面から出てきたものでしょうか?それとも他の誰かや何かに押し付けられたものでしょうか?
そう考えると、よく巷のビジネスセミナーなどで叫ばれている「成功」とは、あくまで労働社会の価値観における「成功」であり、必ずしも人それぞれの「幸せ」に結びつくものではなかったりします。実際に大金を手に入れて、裕福になることで幸せを得られる人もあるでしょうし、全てを否定するつもりはありません。ただ、それはそれを「幸せ」に感じる人に合っているだけの話であって、ただ「成功」するだけでは、上記にある通り、いくらでも闇に転ずることもあるということです。
「夢」という言葉も、「夢」を持てばいいとか、持つこと自体が「目的」になったりすることもあるので、この辺は気を付けたいところです。『ROOKIES』でも、「夢にときめけ!明日にきらめけ!」と、「夢」を語っていますが、私の解読によると、「夢」を持つことが目的なのではなく、「どう在りたいのかという自分の本音」を知ることが目的だということです。本来その「本音」を形にしたものが「夢」だと言えます。
つまり、「成功」も「夢」も、その言葉や形にはさほど価値もなく、そこに「幸せ」や「本音」という中身がなければ、何の意味もありません。少なくとも、【道楽】においては、成功することや夢を持つことを求めるよりも、掛け替えのない今を味わい、幸せでいられること、自分の本音(内発的意志)を知ることを軸にして生きていきたいと考えています。
熱中できるものがあれば「青春」できる
大事なのは、「時間を忘れるほど熱中できるものがある」ということです。そこに自発的意志があるのなら、それが「夢」に向かってでもいいし、「仕事」でも「趣味」でもいい。
例えば、喜多は今、仮想通貨を中心に投資に熱中し、昨年からブログやYoutubeをはじめました。
私MAXは、ナマケモノが大好きで、ナマケモノに会いに行きがてら日本中旅行に行くほどです。そして、「ナマちゃんネール」というYoutubeを、同じく昨年から始めました。好きなものがあり、ナマケモノの可愛い姿を知ってもらうだけでも、とても嬉しいんですよね。
そしてカミィも、ここでは言えませんが(笑)、とんでもないことをやろうと準備しています。いずれ、【道楽舎】でもお知らせする事になると思います。
このように、何かに熱中できることがあれば、それが一番のアンチエイジングになりますし、ずっと「青春」を味わえると思います。
我々は、まだまだ青春真っ只中です!(笑)
前編のまとめ
前編では、『ROOKIES』を題材にして、高校野球を中心に「青春」とは何かについて述べてきました。どう生きることが「青春」なのか。決して「夢」を持つことを否定するつもりはありませんが、世間一般でいう「夢」を持つことの落とし穴や潜在的ハラスメント、それが本当に自分の内側から出た願いなのか…?そのあたりを特に注意していかないと、いつの間にか罠にハマる危険性も述べました。
もちろん、「夢」を持つことは素晴らしいと思います。ただ、【道楽(道中を楽しむ)】の視点で見ると、「夢」を持つことや「成功」すること自体には、そこまであまり価値はないと考えています。大事なのは、「夢」に向かう道中を楽しむ(味わう)こと。その視点を忘れてしまっては、「夢」を叶え、「成功」したとしても、その眩しすぎる光故に、その後に闇(転落)が待っている可能性が大いにあるということです。
「青春」というのは、「夢」を持つことではなく、「夢」に向かう道そのものである、ということです。だから、道中を楽しむという【道楽家】であれば、一生青春で生きられる、ということです。
後編では、また視点を変えて、「青春」というものに向き合って行きたいと思います。青春真っ只中の方はもちろん、後編は特に、「青春なんて遠い昔…」「自分なんてもうオワコン…」と感じている方に、是非ともチェックしていただきたいと思います。
若さだけが、熱さだけが、恋愛だけが「青春」ではない。いつでも、どこからでも「青春」は味わえる。そのポイントになるのが【道楽】にあると、後編では掘り下げていきたいと思います。
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